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zoom RSS あれが無いから、ってのと 個人の存在価値

<<   作成日時 : 2014/08/15 19:59   >>

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結構昔から持つようにはしてた考え方。
「○○が無いからアレが出来ない。」
って考えてはいけない、とかなんかそんなん。
始められないのを道具や環境が無いせいにはしない、とか。

ヘレンケラーだかナイチンゲールだったか。
勉強できない環境の子供に
「紙が無いなら地面に字を書けばいい。
 学ぶことに必要なのは文房具よりも
 学ぼうとする気持ち」
とかなんかそんな名言を残した。


やりたいことがあるのに必要なものが無いから出来ない。
じゃあそっからどうするかで。
代わりのもので代用するとか
必要なものを得る手段を探すとか。
諦めて別の道探すかとか。


放浪出てしばらく前向きでいれたのはそんな風に考えてたから。
今持ってる範囲で出来ること、とか。
住処もパソコンも無い状態やけど。
紙とペンありゃ企画書の下書きも漫画のネームも描けるし
ネットカフェ行けばブログ書けるし企画書作れる。
本を買えば英語の勉強とか出来るし
ネットで仕事探せるしコンビニで履歴書買える。



あたしンち で中学生の次男のユズヒコが
通販のダンベル欲しがる話があった。
当然買ってもらえない。あの母だし。
まぁ多分買っても続かんと思う。

手提げカバンに古雑誌詰め込めば
それなりの重さになるし筋トレできるけどな。
身体鍛える行為ってこと自体がそもそも
一番金を必要とせずに出来ることだし。

筋トレグッズってプロ向けの何十万もするものとかあるけど。
ジョギングなり腕立てなりだったらタダだし。

それですらやりたくないんだったら多分ダンベル買っても続かない。
やりたいことあって、それをやる環境に恵まれなかった場合
多少のことなら そのへん自分の工夫だかやる気だかで
カバーするしかないんじゃね。母の金に頼らず。


もし「ダンベルさえあれば続くのに」ってのが本当だったとしても、
数年ぐらいしてユズがだらしない身体の大人になって
「もしあの時ダンベルを買い与えていた場合の今」を
なんか魔法の鏡かなんかで母に見せて、
「あぁあの時ちゃんと買い与えていれば…」と
母に後悔させてやることとかは
魔法の鏡自体が存在しないから絶対無理。

要するに 自分の可能性を否定した相手を見返せるかどうかって
いい結果を出した場合に限る。

仮にそんな鏡が存在して、
母に「ダンベルを買い与えなかったという選択」を
後悔させることが出来たとしても、
時間を戻してやり直すことは不可能なんで。

そもそもユズヒコの本来の望みは何か。
母に「私が買っておけばユズヒコは成功したのにオヨヨヨヨ…」
とか後悔させたい、じゃないやろ。
筋肉つけて格好良くなりたいことやろ。

本来の自分のための目的をはっきりさせたら
他人の意見は二の次三の次。

時間を戻すことが出来ない以上 母が出来ることは
次から気をつける、ぐらいなんで。
(子供の要望に対して真剣に向き合うとか)
その後結局ユズヒコの身体は本人しか変えようが無いわけで。



何か話が変わってきたけど。
失敗や不都合の原因。

「他人が自分に○○してくれなかったから」
「他人が自分に○○してきたから」

前者は 助けてくれなかった
後者は 攻撃してきた
って感じか主に。ダンベルは前者。



いじめ被害の経験者の語りで
「クラスメイトも先生も助けてくれなかった」
とかよく聞くけど。

助けてもらえること前提やな。

僕自身もガラが悪い奴に絡まれやすい性質で
中学の頃は頼んで無くても先生が解決までしてくれたけど
高校では頼んでも助けてもらえんやったな、と。
まぁ別に今ではしょうがないことだと思ってる。


ここ数年で考え方色々と変わったし

・大人が子供をバカにするんじゃなく
 子供が自身の言動でバカにさせてる。
・他人に自分の被害について助けや解決を求めることが
 当たり前のように考えること事態がそもそも間違い。
・いじめはむしろある方が自然。
 弱者が負ける。負けたらゴミ。
・個人はそもそも無価値。
・力も価値も上げなかったら、いざって時
 攻撃されるし助けもされない。
・努力せず悲劇を嘆くだけの奴は救いようが無い。


 誤解の無いよう言っとくけど 負けたらゴミ、ってのは
 「だっせぇwww」って言いたいわけじゃなく。
 人生は明るい面と暗い面の二面性あるけど。
 攻撃されて強制的に「負け」させられてる、まぁ
 いじめとか受けてる日々ってのは
 毎日暗い気分で送ることになるわけで。
 確かにあったはずの「人生楽しむ気持ち」はどこ行った?
 病気や事故ならまだしもただの人間の悪意でそうなるとか。
 そんな日々はゴミやろ。


自分が成功したりして
それで手助けしてくれた人に感謝することはあっても
攻撃や危害を加えてきた奴の行いが肯定されることは一切無い。

「自分は必要とされてないのかもしれない」とか。


無知な子供への保護(前に書いた人生のチュートリアル)だとか
おめでたい教えだとかが、
何事もプラスであるのが当然みたいな風に教え込んできたけど。

個人ってのは元々そんな価値無いんだわ。
悲観でも何でもなく。

ただ行動次第で上げも下げも出来るんで。
ネットが普及して自己主張とかやりやすくなった時代だし。

自分に価値が無いかもとか悲観的に思うぐらいなら
自分の価値上げることを楽しめばいい。

って感じ。

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