風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

アクセスカウンタ

zoom RSS 正当化と偽善

<<   作成日時 : 2014/11/16 14:56   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

40歳までの残り日数を幸せの期限として決めた日が
残り7079日だったから
残り6079日になった日があれから1000日経過したことになる。
現時点でまだ数日あるけど。

プログラミングも英語も全然上達してない。
無職のままだし。

ただ考え方とか気持ちはかなり変わったものがある。
1000日前なんでこんなカウント始めたのか今じゃ分からん。
まぁあの頃と比べて「害」や「悪意」を向けられることが無くなったからな。
逆に言えば危機感を持つ機会も減ったわけだから
それはそれで危ない。
自分がただの底辺労働者で敵が出来れば太刀打ちできる術は
まず無い、ってのを忘れないようにせねばと。


高校卒業して以降このブログで書いてたことって
自分に悪意向けてきた奴の性格の悪さ、
世の中こんな悪い部分がある、みたいな感じ
 で、そっから
見てきた人間の例としてこんな部分が嫌い、
 そっから
きっとこういうことなんだろう、
じゃあこんな風にしていったほうがいい、
みたいな感じに変わっていったと思う。

自分なりに答えを出すようになった。
変えてもらうの待つんじゃなくどう変えるか、


嫌いな人間の例を見て
何で相手がそんななのか考えて元を辿っていくと
結構一つに繋がる。

いわゆる「まっとうな人間、あるいは行いといえる例」があって、
人間は理性と動物的本能両方の要素を持ってる。
本能ってのは欲、我が身可愛さ、力づく、だから
まぁあんまり綺麗なもんじゃない。

その欲とか汚い部分での行いをやったにもかかわらず
色々理屈こねて
「自分がやったのは一見汚い行いに見えるが
 これこれこういう理由だからまっとうな人間である。」
といった感じ。

これはこれで本能を理性で隠して
自己防衛、我が身可愛さを重視してる、って見方では
また本能と言える。

自分にもあるけどな。多分ほぼ皆あるわ。
それを認めて減らそうとすることからやな。

偽善者というか
偽正者? 偽論者?

 偽善者の意味をウィキペディアで調べてみたら
 「善良であると偽ること」みたいだから
 あぁ、偽善者で合ってるのかなと。

 見返りや名声を求めて、あるいは何も求めてるわけでもなく
 自主的に善行を行う人を
 「偽善者」と呼んだりするのが一般的やけど
 この風潮見直す必要があるんじゃないかと思う。

 じゃあ僕がよく槍玉に挙げてる嫌いな人間の例って
 偽善者なのか。
 でも「偽善者」って言葉自体が結構考えの浅い
 バカが多用するイメージあるからあんま使いたくないな。



高校で僕に嫌がらせしてきた奴で一人
理由を聞いたら「面白いからww」と言った奴がいる。
色々御託並べて正当ぶられるよりこの方がいいわ。
むかつくけど。

思えば僕の母って 自分のやったことを
御託並べて正当化したりはしなかったな。
約束を反故にした理由を問うと
「面倒くさいから!!」とか開き直ったり。
たまに勇気出して異を唱えると
「確かに私が悪かった」と認めるべくは認めてた。
母は気違いではあったけど偽善者ではなかったな、と。

むしろ周りが理屈こねて自身を正当化する
人間だらけだったからあんな風に狂ったのか?
と思うとなんか同情する。








自分で何が正しいか、って答えを考えるようになってから、
思うとこれまでの人生 本当に尊敬、信頼できる大人って
一人も居なかったな。
僕を否定する理由に関して
本当に納得のいく理屈を言ってくれる大人が居ない。

 強いて言えば中学の時の担任の先生に感謝はある。
 教えられた、じゃなく正しさを尊重して守られてたからやけど。


小学校の頃。
大人って子供間で問題があるとその一片だけを拾い上げて
根本的な問題を取り上げない。
だから怒られた(負けにされた)側に
煮え切らない悔しさが残り
正しいとされた(勝った)側はこうすれば相手を
ねじ伏せられるって知恵をつける。

こち亀の少年時代みたいな何十年も昔の子供は
感情(頭きた)→力ずくの喧嘩→喧嘩両成敗、みたいな。
なんかそんなイメージ。

今は先生が2人の話聞いて
どっちが悪いか決めてるようなイメージ。

今時 性質が悪いのは
言うこと聞かない子供じゃなく
言うこと「は」聞く子供。

大人から与えられた「正しさの条件」を子供は
「材料」と「制限」として受け取る。

「○○をしてはいけません」と言われたら
「じゃあ○○じゃなけりゃいいんやな?」
って感じで別の攻撃手段を探すか
相手が○○するように仕向けるか。

 ○○に当てはまる言葉…
 悪口、暴力、自分がされて嫌なこと、等


中学の時読んだ小説
「チョコレート戦争」か「ストーブ戦争」のどっちか。
机に裏返しに置いておいた答案を嫌いな奴が勝手に見て
「ふっ、○○点か。」とバラされ笑われて
殴りかかって喧嘩になる、というシーン。

帰り道に怒りながら友達と歩いてたらその友達は
「相手は本当のことを言っただけだ。
 嫌だったらお前がもっと勉強すりゃいいだろ?」
と渋々納得させられてた。

このセリフにずっと引っかかるものがあった。
まぁ答えは出たけど。
要するに相手に悪意はあったんやろ。
その行為を良いものとは言えん。
反撃するなら勉強だろうと暴力だろうと
選ぶのはやられた側の自由。
ただ自身の向上になる、正当なやり方、ってこともある分
勉強頑張る方が望ましい、ってこと。

そもそも妬みや悪意を持つのが問題。

何がいけない、と教えるか。
暴力だの悪口だの以前に
そこにあったのは悪意か憤りか軽い気持ちか
大人は出来る限りそこを汲んでやれよ、と。
せめてその問題持った人が子供のうちは。

つっても生徒数十人+親を相手にしなきゃいけないから
子供同士のいざこざに深入りしたくない気持ちも
理解る。面倒だろうし。

ただ、今まで見てきたこの大人たちに
次の世代の子供はとても任せられんな、と思った。




 偽善って言葉が出たんで僕なりのこの言葉への見解。

 高校の頃インターンシップ先で僕と同じ班の連中が
 弁当のゴミポイ捨てしようか懸念してるようだったんで
 ポイ捨てするぐらいならまとめて捨ててくるからよこせ、と
 帰りに弁当買ったコンビニ寄って捨てにいったんやけど。

 コンビニで出くわしたDQNにゴミのこと聞かれて答えたら
 「馬鹿やないん?」と。


 小学校の頃すげぇ不真面目でクラスでも結構嫌われてる奴と
 二人一組になって何かの作業をすることになって、
 そいつはサボらず真面目にやってたけどしきりに
 「これで俺のこと見直した?」とか聞いてきた。



 なんつーか僕にとってゴミの分別とか持ち帰ることって
 善意なんか無くても出来るんだわ。習慣だから。
 授業サボらずやるのも普通のことだから別に偉くもなんとも無い。
 当然、苦難でもなんでもないから威張りもしないし。

 食べる前に普通にいただきますを言うのに善意は必要ないのと同じ。
 ただの習慣。偽善でもなんでもない。

 一日一回風呂に入る人を綺麗好きとは思わん。
 風呂は週一が当たり前の民族から見たら綺麗好きに見えるかもしれん。
 一日三回が当たり前の人から見たら不潔に見えるかもしれん。
 人によっては。


 ポイ捨てしたり授業サボるのが当然の奴からしたらあるいは
 その辺きちんとこなしてる奴が「過度」に見えるんだろうな。

 逆に僕からそーゆー「こなさない」奴見ると
 あぁ、(この件に関して 自分よりは)育ちが悪いんやな、と思う。
 「偽善だ(過度だ)」とか言われると特に。

 いただきますを言わないだけで人でなしとばかりに罵倒したり
 普段やらない奴が 本来自分と同等の「やらない奴」を見下すために
 良いことをしたり、って例は
 人に不快感与えてるからそれこそ偽善かもな。

 良いことした事実を意図して広めることも
 結構偽善と呼ばれたりするけど。
 威張り、自慢やな。(見下すような態度があるかないかでも違うけど)
 これに対して見た人の意見
 特に何も、か 賞賛、か
 じゃあ自分も真似る、って 対抗心からかあるいは尊敬からか
 まぁ大概は妬みやな。偽善だと。

 まぁ肝心なのはどんな結果招くか、と
 妬みの気持ちを持たないように、
 非難しないこと、って感じ。


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
正当化と偽善 風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる