風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

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zoom RSS 昔自分をいじめた奴を許せるかとか 誠実さと因果

<<   作成日時 : 2015/01/18 15:17   >>

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前回書いたように実年齢より老けて見られることが多いけど
その反面ピーターパン症候群の僕としては嬉しいことに
ムダ毛が生えるのが周りより遅くて。
足の前側からスネ毛が生えてるけど横からはあんま生えてなくて。
少し前になってようやく生え出したみたいなんやけど
地味に生え出したけどスネ毛が表面の皮膚を突き破りきれずに
皮膚がプツプツと膨れ上がってて、
まぁなんか痒いわ気持ち悪いわで風呂でゴシゴシ洗ったりしてた。
こないだようやく皮膚突き破って生えてきた。

さて



去年学んだこと、なんとなく理解した常識は
人に金を渡すときは封筒に入れた方がいい、ってのと
ジュースとかおごってもらう時は遠慮せず受け取った方がいい。
相手が送りたいのは飲食物じゃなく 気持ちと尊厳だから。

今年あと半年で24歳になる。
若い頃は何となく周りへの甘えがあった。
正直放浪出た頃も世間や大人が頼れるもんだって認識というか。

仕事始めたばっかの頃は先輩の真似してりゃよかったけど
自分がしっかり自主的に動いていかねば、と。
なんつーか 先輩方、年配方に一部
「あぁ、この人駄目だ」って感じるようになりだした。
仕事に限った話じゃないけど 大人と関わって
善い人だけど頼れないな、って判断するようになってきた。


子供の頃、もとい数年前
親や先生のしてきた仕打ちを例に挙げて悪く言ってたのは
心ん中でどっか根本的に「親や教師は正しい」って
見方があったからだと思う。
親や教師も「自分が正しい」って顔してるし。
「こんなことしてても正しいって言えるのかよ」
って感じで憤りの理由を挙げてた。

まぁ、それなりに年くって
大人を「大人」って枠組みじゃなく
一人の「人間」として見るようになって。
まぁ誰しも駄目な部分はあるからな、と。


先導者とかに進んでなろうとするなら
それ相応に出来た人間にならないといけない、
って思ってるけど。
教職者でもやっぱどっか取りこぼしはできる。

僕の嫌いだった先生方も
まぁよくやってた方なんじゃない、って思うようになった。
↑ってこんな上から目線な言い方できる身分でもないけど
まぁ当時むかつかされたのは変わらないからな
理解したのはあくまで”駄目な部分”としてだし。
(その時の先生の言動が正しかったと認めるわけじゃなく
 人は誰しも駄目、上手く出来ない部分があると理解した)


ネットで読んだ話というかアンケートみたいな
「更正した不良は 元から真面目な人より
 評価される風潮が納得いかない」って話。

僕として思うのは、
不良の更正に限った話じゃないやろ別に。
何事も悪いことした方が得なのは当たり前。
買うより盗んだ方が得だし
迷惑かけられるより
迷惑かけて後で反省でもする方が気持ちが軽いし。
0から10になるより
マイナスから10になった方が大きい進歩に見える。

世の中理不尽は当たり前だし
このぐらいの理不尽さは今更、って感じ。

・許せないってのは、不良と同じ立ち位置、同期、
 評価される側の視点なんだろう。

・感心するのは 先導者、教師、
 評価する側のような視点。

寛容、精神的に強い、出来た人間ってなら
後者だろうな。


ネットでの掲示板での議論
「昔自分をいじめてきた奴が謝ってきたら許せるか」

僕にとっては通ってた高校の連中か。
別にもう会わなければ(今後の面倒ごとの要因にならなければ)
もういいやって思ってる。
(意図して思い出そうとしたらむかついてくるけど)
そもそもあの連中が僕に許しを求めたりはしないだろうけど
仮に選択するとして。
噛み砕いて書くと長くなるから簡潔に書くと
成長してたら許す、してなかったら許さない、って感じかな。

可能性まで否定する気は無いんで。
 感情的に「こんなクズが改心できるわけが無い」って
 言い張りたい気持ちもあるけど。
 可能性否定しだした奴は自身の言葉に信憑性が失われるから。

不真面目な奴もいずれ更正するかもしれんし
バカが集まるあの高校も新築になってからは入学志望が上がったみたいで
割合的にまともな生徒が増えるかもしれない。

まぁ連中や高校に求めるものがあるとしたら
少なくとも自分が当時やそれぞれの件に関しては
”駄目”だったことは認めろ って感じ。 僕も認めてるし。


書き込み
「自分が何十日何百日苦しんできたものを
 たった1日のたった一言で許せとか何の冗談だよ
 しかもそれで許さないと
 「あいつは謝ってる人も許すことができない非道い奴だ」といわれ
 なぜかいじめられていたこっちが
 加害者のような扱いになる理不尽な世界」


人が怒るのって 大きく分けると
・相手の不誠実さ
・自分の不都合
の2つ。相手の不誠実さで自分に不都合が発生したなら尚更。

失敗は責められるべきじゃない、って風潮がある。
だからって失敗した側は責められるのが遺憾だったり
反省や謝罪しなかったらそれは不誠実さになる。

若い頃の不誠実さは 年取ってからは
若かりし頃の過ち、つまり
不誠実 → 失敗 に変わる。
被害者は相手の「失敗」を許さないからひどい、みたいな見られ方。
やられた本人からだと「意図して行った不誠実さ」であることには代わらないから
許すほうが難しい。

まぁこーゆーことなんだろうな。



物事によりけりやけど 許せないってのは
心がそれほど強くなれてないってことだと思ってる。
非難する気はないしむしろその方が普通だと思ってるけど。

「許してしまう奴は去勢された牛」って書かれてた。
まぁそんな見方もあるか。


許す、許さないの選択が出来るのはあくまで
相手より立場が上(になる要因を得た場合)
になって初めて決められることなんで。

自分に反撃できる要因が
ある上で許すのか
無い上で許すのか で大きく違う。

「寛容な精神で許す」のと
「反撃できる要因が無いからせめて悔しくない振りして
 許していることにして格好つける、自分に言い聞かせる」
のとじゃ全然違うし。









去年分かったこと。出た答え。
・人に悪意を向けたら悪意で返ってくるのは当たり前。
・被害を受けた(と感じた)場合 与えられる選択肢は
 被害者のまま善人の肩書きを通すか
 反撃して一部に悪人に見られるリスクを負うか の二択。
 反撃しといて完全に善人のままで見られるのは到底無理。

僕が重要視してるのは 誠実さの有無と 因果は確実ってこと。

去年言われたことやけど

 「他人を舐めてはいけない。
  まあ人を舐めてる奴は舐められても仕方ないけど」
 この文章を読んで、少し違和感を覚えませんか?
 矛盾しているんです。 舐められても仕方ない、というのは
 つまり舐めていい、というのと同じ意味です。


答えが出た。
誠実さは重要視するのは大事だけど
とにかく持たないといけないって思ってるわけじゃない。

相手を敵視するのに、悪意を向けるのに相応しいか、って判断基準。
肝心なのは「理不尽さ」「非合理さ」を極力発生させないようにすること。
不誠実、舐めた奴にはそれ相応の態度をとる。
それで相手が不満なら それこそ自分の態度から改めるべき。

相手が失礼なら自分も誠実でいるのが馬鹿らしくなる。
まぁ 相手に誠実な態度で自分に接して欲しいなら
自分の方から誠実さを持つの道理。
どれほどまで自分から持ち合わせるか、
どの辺までで相手を見切るか、って基準。
その辺のバランスは自分の精神力、大人力次第やな。



何が何でも誠実さを持とうとするのはやめる。間違いだった。
ただ誠実さを持ち合わせてなかった時(指摘された場合)や
自分の不誠実さによる因果は 認めるようにしようと思う。




ほとんどの人間はこれが理想だろうな、って思ってることが二つ。
・やられたら1倍以上はやり返したい
・敵に回したら恐ろしいが味方に付ければ頼もしい人間
 要するに価値の高い人間として扱われたい。

前者。
1やられたら2か3にしてやり返したい。
相手は1やられる分は自業自得だが
こちらにはそもそも その1すらやられる義理が無かったんだから。
反撃するにも手間かかったり実現できない可能性あるから
やるからにはやられた分以上でやり返したい。

反撃できる要因があるなら誰でも使う。
要因がある上で 0や1にとどめておけるのは
寛容、出来た人間 なんだと思う。


去年グッズショップで ロボットが盗まれて
店が犯人の顔写真にモザイクかけて公表して
「返しに来なければモザイクを取る」と脅した話。

善人とかいうどうでもいい肩書きの為に
盗られっぱなしの被害者でい続ける気は
当然無かったんだろう。僕だってそうする。
「ひどい」「人権侵害だ」と一部に非難されて悪人扱いされた。
これも因果やな。

捕まった犯人はもしかしたら店を恨むかもしれない。
泥棒とかいうあからさまな不誠実さで害を与えた立場で
恨む権利は無いけど その道理に従うような奴が
まず泥棒なんかしない。
こいつに恨みを買う羽目になるのも因果。


人生 一切被害に合わず 尚且つ善人でい続ける ってのは
ほぼ無理やな。無人島でも暮らさん限りは。



客観的な見方で こうなんだろうなって僕が思ったことは
ほぼ正しいと自分で思ってる。
主観的に、この方がいいって考え方は 正しいかどうかというより
自分の基準で自分にとってはこのぐらいがいいって思ってる。

去年のマックレマーの話。
客の基準で 誠実さが欠けたことを僕はやったようだから
客に悪いように思われるのもクレーム入れられるのも因果。
まぁクレームって形で反撃した以上
僕に悪いように思われるのも因果。
お互い様やな 結局。

コメントでの批判者の件。
僕は議論するとき 半分は相手が正しいって思ってる。
でも相手は完全に自分の方が正しい、って感じで
相手は僕を 半分悪いと認めてる分
尚更 質が悪いって思ってたみたいだけど。

その辺に関しても もしかしたら
「半分相手が正しい」となんか思わず
自分の価値観の基準を相手に主張する際は
「相手は間違ってて、自分の方が正しい」と
胸を張るべきなのかもしれない。

客観的にどっちのやり方の方が正しい、とも思っては無いけど
まぁ僕は前者を選択しておく。
そんで 相手の主張から重要視すんのは
理屈じゃなく相手の言葉遣いや態度から。


正直どっちが正しいとか間違ってるとも思ってないんだわ。
相手の人格、自分への気遣いの有無から
和解する努力をする相手に見合うか
決裂させた方が手っ取り早いか、って判断する。


ネットで読んだけど
「雪で会社遅れたらもっと早くから来ればいいだろうと怒られた」とか。

どっちが正しいって議論してたけど
お互い様やななんか。

社員の方も極力間に合うよう尽力する義務があるし
上司の方も状況から判断してある程度は許せるよう
寛容さを持ち合わせる義務がある。

まぁお互い譲り合う、持ち合うことが
人間が関係を持つ上で重要なことってのがあくまで理想
っつーかまぁそんな感じ。

今日はこの辺で 続く

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