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zoom RSS 僕の周りの大人達は先導者には不向きだった

<<   作成日時 : 2015/02/13 20:21   >>

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僕が子供時代の20年間に関わってきた大人達が
全体を通して見ると嫌い、って何度か書いたが。
(個人個人を見ると別にそんなに嫌いじゃないけど)

大人になって 過去の大人たちの教えが
正しいかどうか自分なりに判断するようになってからの結論。
あいつらバカ。先導者に向いてない。

先導者、人の上に立つ立場に進んでなるなら
能力よりも人格、価値観がある程度
人並み以上であるべきだと思ってる。

僕は後輩を導いたり子供を育てたりする苦労を知らないから、
否応にも それを耐え抜いてきたあの大人達とは
肩を並べて ものを言うことはできないんだろう。
けどいいわ非難されても。言いたいから言う。


正しさの条件ってのは色んなものが
互いに関係しあって成立してる。
だから断片的な条件だけ持ち合わせても意味が無い。

人間学園で先生が話した過去の生徒
遅刻しといて
「正直に言うのは良い事なんでしょう?」
と開き直ったとか。

その言い分も正しいけど

・心には無くとも態度で誠意を見せること、
・ミスをした以上 一旦叱責を受ける、
・判断するのは聞き手(先生)次第、
っていうのもあるから。正しさの条件てのは。
「正直に言う」だけじゃ全然足りてない。
そもそも追求されたのは「遅刻」そのものであって
その後の「報告」ではない。

まぁ断片的な正しさだけ・・・ってのはこういうこと。

前回書いた「マニュアル人間が育つような環境」ってのが
僕が子供時代を送ったこの環境なんで。
理屈、道理を一番上に置いて考えてしまってるから
自分の理不尽や不遇にいつまで経っても合理的に納得できない。
そんな悲しい人間を育てるような環境、教育方。

「ルールとしてはこうであると教える、
 そしてこれが自分が正しいと思うもの けど
 あくまで主観だから間違ってる可能性もある
 生徒の考えも聞くから一緒に真意を見つけていこう」
って感じの先生が見当たらなかった。
(僕が気が付いてないだけかもしれんが)

断片的な正しさの条件を その場その場で徹底して叩き込むような
そんな教育方だったから。
そもそも「正しさ」を客観と主観で区別してない。ひとくくりにしてる。
そんで「これが真意だ」と言わんばかりに。

僕は少し前まで「正しさとは何か」って考えは
非難するのに値する口実はどんなものか、って感じで考えてた。
根本的に違った。
非難そのものが本来すべきじゃない、ってのは大袈裟だけど
結構最終に近い手段。決裂しか招かない道。

なんでこんな考え方してたかって思うと
そもそも僕の周りの先導者の教え方にあったと気付いて
あいっつら駄目だわ・・・って。


(悪い意味で)人並みの人間が先導者の位置に立ってる。
あの人達が扱えるのはそれなりに真面目な生徒だけだろう。
僕みたいな人並み以下の異端児は無理。

自分個人の不都合だったら 自分の視点なら
自分が解決すべきだと判断したけど。
そもそも異端児な自分が悪いんだから。

僕のような異端児が第三者なら。
人並み以下の生徒が他人であれば。
とてもこの大人たちには任せられない。


身近な先導者である母親が特にアレだからな。
「学校で寝るぐらいなら万引きでもした方がまだ格好いいわ!」
とか言うような先導者だったから。

こういう時 本当にあんたはそう思うんだろうな、と
実際万引きして店長室に連れてかれて母親呼び出されて
「母がそう教えたからやったんですけど」と主張する手もあるけど。
自分自身や罪の無い店に嫌な思いさせるデメリットの方がでかいし
そんな証明が不要だって分かるぐらい 言い分がおかしいのは明白。
真意を求める際に見るべきは言葉そのものじゃない。
実際母も 居眠りは万引きよりはマシだとは思ってるけど
僕が「何か盗んだり壊したりするような悪事さえしなけりゃいい」
ってスタンスなのを見抜いて
その悪事より悪い、と言い聞かせれば 居眠りも改めるだろう、っていう。
道理を求めるのが苦手であろう母の苦肉の策。
だったんだろうな、と結論に至った。
母はよく僕に「知恵遅れ」と言ってきたけど自身はどうなんだろうな。

まぁ元々の原因は僕の怠惰だから反省してる。




あと、過去の大人達を大人として軽視してるもう一つの理由。
慢心でも悲観でもなく、僕は子供の頃かなりの異端児だった。
周りから見りゃ社会的な人間にするのが苦難な。

僕の悪事によっての害を 大人に一方的に背負わせてない。
1やられたら1やり返された。叱責って形で。
だから一方的な負い目や感謝があんまり無い。
 全くではないけど。一方的に嫌な思いさせてしまって
 未だ申し訳なく思ってる件もいくつかある。

叱責の際 間違いや正しさを教えてもらえなかった。
なんで怒られてるのかが分からない、ってことが多々あった。
理解するのに自分で考える必要があった。

もしかしたらそうあるべきなのかもしれんけどな。
大人が直接教えるより 子供が苦心して正しさを見つけるべきと。
ただ、あの大人たちは そこまで深い考えがあって
そのやり方を選択したわけではない、と断言する。

受けた叱責や罰に関しては元々悪いのは僕なんだから
大人達に恨みは無い。
ただ相応にやり返されてるから感謝も無い。

人と人ってだけじゃなく 大人と子供で
かつての僕は子供側だったから。
この行いが悪いってならそれに理解、納得できるよう
こっちが聞かなくても教えてくれよって
甘えがあったと思う。

まぁ もし聞いても、
向こうが懸命に教える姿勢で居てくれたにしても。
本当に納得できるようにしてくれるのは無理だろうな。
結構「いいものはいい、悪いものは悪い」って
単純な教え方しか出来無そうな大人達だったし。


僕自身ここまで自分で納得の行く答え出せるようになるのに
相当時間かかったし。


小、中学生の時の周りの生徒って
人格の出来上がり具合が結構ピンからキリまであって
僕はキリ(底辺)の方。

あの大人達は ピンの生徒なら普通に教育できても
キリの生徒の扱いは無理。
僕自身 キリの生徒から先生に守ってもらったことが
結構あるんでそれに関しては感謝してるけど
僕の方が問題児扱いされてるときは正直
なんだこの教師は・・・って感じだった。

今にして思うと
・先生の主張の方が正しい けど問題児の更正は向いてない
・先生の主張の方が駄目。まぁ人間の駄目な部分として理解してる。
のどっちか。


まぁ この大人達に今後の人間(子供)は
とても任せられんな、と思った。
そもそも教師や世間に子供を任せきりにすべきではないけど。

各々の親達がしっかりと教えていくべき、なんだろうが
親の方も 子供をまともな人間に育てようって意思があるかどうか。

なんかネットで知ったクレームで
「子供がピーマン食べれないから給食に出さないでください」
とか言う親が居たらしい。

発生した問題、不都合を自分の方で解決する
「ピーマンを食べれるように教育する」ではなく
相手の方に都合を合わせるべき、とか。しかも
「ピーマン残しても見逃してくれ」じゃなく
「献立からピーマン外してくれ」やもんな。すげぇな。

子供ってのは
・次の世代の人間 だけじゃなく
・親の愛玩動物(悪く言えば) って要素もあるから。

0か100じゃないが。
世間に出す以上なるべく前者に趣を置かねば。
いくら可愛くても。
あるいは単に親の教育が世間向きではないか。

例えば子供が転んだら
抱き上げたり手を引いて立たせるんじゃなく
自分で立つの待つとか。
優しさは「立つまで歩みを止めておいてやる」だけで充分じゃね。

正しさ教えるのも ルールと親の主観では別。
これはあくまで正しさの条件の一つであって
場合によりけり、とかまぁそんな感じ

ってのが僕の見解。

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