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zoom RSS 道徳と根元 戦争の賛否とゲームの影響

<<   作成日時 : 2015/08/05 21:16   >>

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2年前に おめでたい教え
多分 人間や人生を苦しめてる風潮、
その正体かもしれない概念に気がつき出して
なんで社会や先導者、先人達(親、教師)はこんなものを
身勝手に広めるのか、真意はほのめかす程度なのか、
って憤ったものだけど
なんとなくその理由はいくつか推定できるようになった。

・真意は各々が自分で見定めるべきだから。
 人に答えを出してもらうものじゃない。
・教えない方が都合がいい。
・実は先人達も真意の部分をあんまり分かってない。
・正しいものを教えるに当たって「根元」を前提とした上で
 「理念、道徳」を説く、といった段取りを踏まず
 「理念、道徳」をそのまま直球で教えてたから
 子供はそこを前提に考えるようになってしまった。

まぁ追々上げていく。

道徳、理念、常識っていう正しさよりも根元にある
欲、都合、因果っていう正しさの話。


海外でネットゲームに10年費やして後悔したユーザーが
「こんなにはまると知ってたら やらなかったのに」と
運営に損害賠償を請求した、って事件があったらしいけど。

当人の考え方を観点に考えると
たとえ周りが認めなくても本人が自分の人生を
「充実した生き方、勝ち組」だと
信じてしまえばそういうことになる。
それを放棄してどうする、と。

当人のプライドの観点で考えると
後悔しようと それって自分の選択が
そのまま直結した結果なんだから
自分が選んだんだから仕方ない、って留めるのが
最低限残されたプライドなんじゃないのか。
それすら放棄してどうする、と。
逆にそれしか残されてないから
もう 恥も関係ない、って感じなのか。

で、ある意味じゃこの人も
あの風潮の犠牲者なのかもしれんな、と。
人を責める、ってことはつまり
「あなたの行動や不備のせいで不幸になった人間が出た、
 自分が不幸になった、不都合になった、
 どう思う、どう責任を取る」ってことなんだけど。

真意、因果の観点で考えると
そもそも人間は別に 他の個人を幸せにするために
存在しているわけではない。
実際 運営からして見れば 自分達のゲームで
不幸な因果を辿った者が数割出た所で問題じゃない。
だから何だって感じ。

「人は人のために在るべき、
 特に商品を提供する側は客の為に在るべき」という
風潮、道徳に甘えすぎたな。このユーザーは。

人が人を不幸にする、ってことで責められるのは
「道徳」といった概念があるから。
道徳を無視してる奴、相手の不幸に理解が無い、じゃなく
ある程度想定した上でそれでも構わんとする人間に
道徳を説いても効かない。
「悪人より善人の方が責めやすい」って これもあるな。
 正確には 悪人として開き直ってる人より
 建前でも本意でも善人であろうとしている人の方が
 責めやすいってこと。

しかも今回ユーザーが唱えた不都合は
明らかにユーザー側の責任が大きいし
善人でも聞き入れる気にならん。



で、道徳という風潮だけど。
そうあるべき、って認識が高い。と思う。
結構多くの人は。
そんな考えの人が大半を占める理由も
別件で考えて答えは一応出たけどまぁまたの機会。


人間の根元たるは
そもそも人間は別に 他の個人を幸せにするために
存在しているわけではない。
赤の他人もそうだし 社会も、会社も、店も、
言ってしまえば家族、恋人、友達とかも。

そうしたいからそうする、都合、欲に従う、って根元の上に
理念、信念、道徳 言うなら愛とか友情とか呼ぶものなんかが
上塗られてるに過ぎない。

なんかたまに見るセリフで
「人間は所詮 いざとなったら裏切る」みたいなセリフ。
良く言えば 真意を求める発展途上、
悪く言えば まだまだやな、と思った。
この言葉を言う時点で すでに考え方が
道徳(上塗られたもの)を前提とされてる。

「おめでたい教え」が綺麗なもの、
絶対、完璧などといったものを前提としたせいで
人は惑わされてる、って感じ。

綺麗なものが上塗られた理由って多分
人に余裕があるからだと思う。
上塗られたものを前提として 余裕が無くなった時に見える
根元たるものに絶望するより
余裕がある、他人が上塗ったものが自分と通ずるものが
あるってことに喜びを見出すべきだし、

永遠、絶対な良いものってのは在り得ないから
何時か無くなる、といった不安やら
過去の栄光が無くなったことを悲観するんじゃなく
一時期でも確かに在った、という事実、
これから在り得るかもしれないって可能性に価値を見出すべき。

っていう考え方にした方が楽。



で、社会の観点からして 真意を教えない方がいい、
全体的に道徳だけ適当に教えておく、
民はおめでたい教えによっておめでたい頭に
させておいた方が都合がいいからそうしてるって可能性。

言うまでもない、と思ってるけど
読み手がそれを前提にしてるとも
僕がそれを前提にしてると
分かってもらえてるとも言い切れんから改めて言うけど。

社会や法律は個人の為にあるんじゃなく
おおまかな大衆のためにある。
自分(個人)は社会に生かされてはいるけど
守ってもらってるわけではない。



やっぱ人間の大半が受動的、
断片的な情報を元に良いか悪いかを判断してしまうし
自分にとって都合のいい論理、捉え方を見つければ
そこで思考を停止してしまう。

自分は違う、とは言いたいけども言わない。
僕の中でもそんな部分があると思う。
何かを妄信してるのに関わらず その自覚が無いっていう。
 例えば戦争や殺人を悪い、反対するのが正しいって考え方は
 昔受けた教育の名残に過ぎず
 心情的にそれを否定したい理由も無いから
 論理的に否定する理由も特に考えないでいる、ってだけで。

 戦争、殺人を良しとする可能性、捉え方があるかもしれないし
 実際そんなことを主張してる人間もいるけど
 なんかそいつらの言葉って重みを感じないので。
 異常である自分に自己陶酔してるぐらいにしか見えない。
 何回か前に書いた殺人の話を参考。 



まぁ大半の人間が受動的で、他人に答えを求めてしまうし
断片的な正しさの条件が自分の都合に合うと思えば
それ以上を懸念しない。

まぁ相対するAとBの方面があるとして
自分がA派での論理的な答えを出せば
Bの方面の捉え方は考えない、
それ以上を考えるならA派が特に有利になる理屈、
B派がおかしいと断定できる理屈。
 まぁ僕もそんな所あるし。
 過去に来たクレームや批判で未だに認めてないものがある。



自分で真意を追おうとしない、断片的な価値観だけしか
持ち合わせてないせいで 時に苦しむような奴は
勝手に苦しんだり死んでいけばいい、
ってのが社会の考え方なのか、って思ったり。
だとしたらまぁ正直 半分ぐらい共感する。


「人権」や「道徳」を人々に分け合いなさいと撒いた所で
やっぱ拾った人は武器にしようとする。

小学生が先生に「殴ったら体罰で訴えますよ?」って煽った、
みたいな話を聞いたけど。

暴力の抑止力を高めれば口達者な奴が有利になるだけで
この条件を満たした者の罪は軽くすべき、とすれば
その条件を満たせば罪を犯してもいい、って認識になったり。

ゲームの課金の話だけど。
結構問題とか起こってるらしいけど。子供が大金使ったり。
ユーザーとしてもなんか
中身に満足できない、といった不都合。
嫌なら買わなければいい、って意見の反面
間違って買うことのないような親切な設計、
満足のいく中身を求める要望。
どちらか一方のみが正しい、ってことはない。
ユーザー側の自己責任と メーカー側の良心のバランス。
 道徳の裏にある根元、その辺の都合を理解すれば
 ちょっとずるくね?って思ってた妖怪ゲームの商法もまぁ
 それほど遺憾に思わなくなってきた。
 ずるいのは承知の上。やりたいからやってるだけ。


こういう 争いや不都合はまぁ 無くならない。
悪い、不誠実だという自覚してる場合もあれば
本気でこうあるべきだから、
これが丁度いいはずだからって信じてる場合もある。
その辺の感性は各々の生きてきた
環境、経験、考え方によってズレてくる。

客観的にこれが絶対正しい、ってのは無い。
思うとしたら主観。


まぁ僕がちょっと気にしてるのは人間全体的に
幸不幸の基準が上がりすぎてきてるんじゃないか、って感じの。
道徳や人権を武器や盾に使う奴に特に多いけど。
僕からすればすげぇ些細なことで遺憾だと主張したり憤ったり。
僕自身の遺憾も 違う見方からすれば
些細なことなのかもしれない。


漫画のセリフだけど。(いぬまるだしっ)
「人間の歴史を辿れば戦争してる時期の方が多いんだ。
 今の平和の時代も戦争と戦争の間の
 ハーフタイムに過ぎないのかもしれないね」
と。


そこまで考えてちょっと
戦争賛成派になりかねない考え方も出来てきた。
定期的に戦争や殺戮が起きて人間全体の
幸不幸の基準を適度に抑える必要ってのがあるのか。
こいつらもっぺん爆弾落ちないと分からないのかなって。

まぁこれ客観よりな見方をした場合での考え方。
主観的に意見を出せばまぁ
僕が戦争反対派なのには変わらない。都合悪いし。
次に戦争起きるなら
僕の死んだ後にしてもらいたいってのが本音。





ゲームメーカーに不都合を唱える例を2つ出したついでに
ゲームや漫画の影響で犯罪に走る可能性の説。
昔から絶えないけど。

あるんじゃねそりゃ。人間バカだし。
逆に影響を受けないわけが無い。
ただ重点を置く、正すべくだと思ってるのは
影響を与えるゲームじゃなく 影響を受ける人間側。
僕は基本 不都合を感じた者自身が
改善に勤しむべきだって考えてるから。
無論それが絶対じゃないけど。

ゲームで悪い影響受けだした傾向のある子供から
一旦取り上げるのは一つの手だと思う。
けど各々の家庭がどうにかすべきだし
道徳を武器にゲームを一般的に
悪いものとして知らしめようとか
存在を排除しようってのは図々しい。
…ってのが僕の道徳を観点にした考え方なんだけども。

いや…自分にとって気に食わないものを
排除したいっていう意思も結局は人間の
根元の部分に当たるのか。
当人は道徳のためだって信じ込んでたりするけど。


人間は影響を受けざるを得ない。
実際「ゲームが悪い影響与える」って考え方も大概は
そう吹聴したメディアかなんかの影響だし。

人は優遇される環境に居れば少なからず傲慢になるし
不遇な環境に居れば卑屈になっていく。
もっと言えば生物全体を見ても環境によって変化、適応
しない生物の方が存在しない(詳しくは知らんけど)

その上で 自分でしっかり物事を見定め、判断するって
固い意志、理念、信念を持とうとするのも個人の自由。
まぁ少なからず影響を受けるという事実、弱さを
ある程度自覚しているか、一切信じてないか…って違い。


「根元」である欲、都合、勝手な部分ばかりが
まかり通ってはならないと出来た概念が
「道徳」だと思うけど
本来 人間として当たり前な「根元」の部分を
攻撃するのに便利なものとして使ってるって場合を多く見る。

「道徳」は自分に戒めるものであって
価値観の違う他人に求めるべきではない
…って「道徳」は 求めるだけ無駄か…。


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ありがたい教えとは、「儒教毒」と似ていますね。
道徳とは、儒教的な道徳観をさしているのかと思います。
儒教は支配者が統治に使うものです。
支配される側には危険です。
儒教の反対は老子、荘子の思想、タオです。
社会的な弱者の味方は老荘思想です。

真意とは真実の事でしょうか。
わかっていても言えない言葉ですね。
たとえば、人間には価値がないとか、
家畜と変わりないとか、生まれながらにして
牢獄に住む囚人であるとか。
生きたくて生きているというよりも、死ねなくて、
しかたなく生きているらしい。

人々は、表と裏を使い分けて世渡りしている。
本音を隠し、建前で生きる方が調子よくいく。
それも潤滑油ではないか?
あじさい
2015/08/12 21:57
知識が乏しい故に 概念に気がつきだしたのに 適切な呼び方が見当たらず 自分でひとまずそれを「おめでたい教え」と呼ぶことにしました。
儒教、儒教毒という言葉は初めて聞きました。
調べたけど難しい言葉が多く はっきりとは理解できてないけど多分これに近いと思います。
まぁ言葉の真理を理解するに至らない以上 当分は「おめでたい教え」のままでいきます。
おっさん
2015/08/13 20:48

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