風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

アクセスカウンタ

zoom RSS 認識の把握度と段階

<<   作成日時 : 2015/08/13 20:31   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

人間にとって大事なことの一つで 思ったことだけど
「常時疑い続けること」やな。

結論、答えだと本気で決めようとすれば
反論でも来ない限りそこで思考が止まる。
来ても受け入れられなかったら同じだけど。

真理の究明に限った話ではなく 向上、警戒、なんかにも言える。
振り込め詐欺とかも「自分は大丈夫」といった
根拠の無い自信は持たないことやな。
僕だって高校入る前は悪意を向けられても
いじめられるに至るまではならないと思ってたし
東京来る前に 変な詐欺師に絡まれても
無視すればいい程度に思ってたし。



もう一つ。
常時疑い続けること、の内に入るのかもしれんけど
「自分は違う、とは思わないこと」だと思う。
(見え方次第で良くも悪くも見える、じゃなく
 悪い癖である、という前提として)
悪い例を取り上げるとして
他人事、自分は違うとは思わないこと。
自分にもあるかもしれない、
出来る限りで減らそうとする気持ちが大事。



真理の究明で一番足枷になるのは「心情」
心情的に認めたくないものは
それを肯定しうる理屈の 究明自体を拒否する。
まぁ極端な例 戦争や殺人。
特に自分が害を被る側として件に携わった場合
認めたくも考えたくも無い。



うまく説明できてない気がするけど
自分の持ちうる言葉と単語でどうにか当てはめて表現する。

真理、真意を究明するにおいて
認識する、って事で 測り方が二つあって。
・把握度
・段階

把握度は その概念をどのぐらい 素で認めているかどうか。
「頭で分かってても 認めたくない気持ちが割合的に多い」か
「皮肉でも悲観でもなく、素でそう思ってる」か。

段階は その概念を追求、客観視して
またその先にある概念に気付くか、といった感じ。

基本的に把握度がある程度至らないと次の段階には進まない。
RPGで例えるなら 把握度が経験値、段階がレベル。

自分の認識の段階が 自分では最上位だと思っているか
まだまだ先がある、と疑念を残しておくかで違う。

6月の頭に書いた話の続きになるけど。
自分がとある観点に基づいての考えを進めていると
自分がすでに辿った経緯である考えに近いものを
他人が語っていると、
自分がその観点に関してその人より先を行ってる、と
感じることがある。
 まぁ自分がそう思ってるだけって可能性もあるけど。

4年前、僕が19の頃に 数人で自己紹介する機会があって
「視点、立場によって違う正義」について熱弁してた人が居た。
まぁ主人公サイドから見て敵は悪に見えるけど
敵からすれば敵なりの正義があって、といった話。
この時点で僕は この捉え方自体は既に気付いて
その先を見ようとしてたので
今その人はその段階、ってわけか。って感じで見てた。
これが「認識の段階」の概念に気付くきっかけだったかも。



去年ツイッターで
「バスとか店でおはようございますとか
 ありがとうございますとか言う人正直言って
 うざいです。バカな日本人w」
なんて呟いて炎上してた人が居た。

といっても非難されるんじゃなく
「おはようございます!素敵なご意見ですね!
 ありがとうございます!!」
なんて色んな人から言われまくる
新しいタイプの炎上だった。

返信ではそうだけど 拡散では
「斜め上からの意見が格好良いって思ってる
 典型的な高二病」なんて言われてる始末。



その人のプロフィール見てると海外とかで
勉強したりした経験もあるらしい。
「新しい視点からこの世に新たな風を送る」なんて書かれてた。

ツイート遡ったら
「人のため、周りもこれが正しい思う、
 という建前で主張する奴が嫌い。
 自分が正しいと思ってるから、と素直に言えばいい」
って言ってた。

すげぇ分かる。
僕にも過去にそういう風に
自分の正しさを主張してくる奴が居たから。

まぁ、その観点を進めると、一回り客観視すると それも
「人間が持ちうる性(悪癖)の一つ」に過ぎない、
ってことに気付く。

この人の言葉って中身が無いわけじゃない。
経験もある分 重みがある。
けど 見下し、自分は違う、自分の認識が最上位、
といったように考えてる傾向があるから
「慢心は毒」「井の中の蛙」って言葉を
頭の隅にでも置いといて欲しいなって思った。
正直嫌いじゃないし期待してる。


昔 能力が乏しいのに大きな態度を取る奴、
について考えて、その先に
では能力が伴えば威張ったり周りを見下したり
してもいいのか?って考えて、またその先に
向上したり優遇されたりすれば慢心する、ってことも
人間の持ちうる性、悪癖の一つに過ぎない、
って所にまで気付いた。
(それでも構わんって本人が言えばそれまでだが)

本当に器量が大きければ落ち度も許容できるはずだからな。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
おっさんへ

今回の記事も腑に落ちます。
知人の精神科医の話だが、患者が
「自分の会社はブラック企業で、そのために病気になった。」
という話を聞いても、医者としてはその会社が本当にブッラクなのか、そうでないのかはわからない。真相を知りたくて疑っても結論は出ない。それより、そのように自己申告しているという事実を重視するべきだ。と言っていました。

おっさんの「疑ってかかる」ということは、考え続けるとか、慢心しないというポジティブな見方だと思う。ネガティブな見方をすると、相手を否定するということになるが、そうではないようだ。
真理の追究で普通の人は、納得するか?受け入れることができるか?が重要である。だから、わかっちゃいるけどできないという矛盾した行動もできるのである。論理より心情というところか。

自分の考え方も間違い3割あるかもしれん。しかし、他人にとっては自分の間違えを信じて、その結果悪いことがあると私を責める人もいる。(他人から指摘された私の弱点)
断言しているつもりはないのに、そのように聞こえたら私の落ち度(会話のスキルの低さ)だろう。その点は反省必要。
あじさい
2015/08/14 08:30

コメントする help

ニックネーム
本 文
認識の把握度と段階 風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる