風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

アクセスカウンタ

zoom RSS 理解を拒むという甘え

<<   作成日時 : 2015/08/14 18:59   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

映画 スペースバトルシップ・ヤマトで
主人公の古代が ヒロインの森雪に
逃げ遅れた仲間の居る第三艦隊ごと
敵を撃ち落とす、という辛い選択をさせて
そのことを謝り、慰めるシーンになって
その後の艦隊のワープでスローモーションになると同時に
古代が森雪に唇を重ねる、ってシーンがあって。

ラストで古代の戦死後、森雪が恐らく
古代の子を身ごもったであろう描写があって。
多分あのシーンの時に出来たんだろうなって。

元々森雪は古代のことを毛嫌いというか
認めてなかった風だし
なんで慰めからこういう流れになるのか…。

いやこの映画自体が原作 宇宙戦艦ヤマトの一年の航海を
2時間にダイジェスト的に収めた内容だから
急な展開とかが多いけど。
元々仲悪かった奴が急に仲良くなってたり。


まぁこれに限った話じゃないけど。
「泣かないと決めた日」しかり
ラブロマンス系の話で
慰めから性行為の流れになる展開が
なんで? って理解が出来なくて。


まぁ、そういうものなんだろう。
と形だけでも無理矢理 理解することにした。
物事の理解の手始めは
そういう場合があるという事実を認めること。
共感や賛同に至るかはその後。

まぁ自分がそういう経験ないから分からないだけで
そういう雰囲気が本能的にそうさせる
ものなのかもしれない。



理解を拒むのは「甘え」か「見切り」か、という
二通りの見方に気付いた。
上の話を理解しようとしなかった頃の僕のは 甘え。

子供の頃は理解を拒む姿勢を見せれば
周りの大人が理解させようと尽力してくれるからな。
これは甘えやな。

基本的に 多数派、一般的であるとされてるものが
正しい、と思ってる。
多数派と少数派で 相手を理解できない場合があるなら
少数派が多数派を理解する努力をすべき。
多数派が少数派を理解する努力をする義理は無い。
基本的には。
 無論「これに従えば絶対上手くいく」なんて
 概念は存在しないけど。




昔 性同一性障害の息子を理解できず
理解する努力もせずに 自分だけが苦しいとばかりに
罵倒したりするばかりの母親、ってVTRを見た。
それで子供は大きくなったら
親と縁を切ってもらった、と。

少数派が多数派に合わせるべき、って常識を押し付けるのが
因果の観点で見りゃ正しいことなら
子供が自分を理解しようとしてくれなかった母親を嫌って
縁を切ってもらおうとするのもまた因果。
 まぁ、性転換手術に成功して
 親子で感動の再会果たすんやけどな。
 スッキリしないわ。
 僕なら縁切ってもう二度と顔見せんけどな。
 まぁ親思いの子供だったから、ってのも因果か。



基本的に
少数派が多数派に合わせるべきだし
不都合を感じている方が変える努力を
すべきだって思ってる。



自分の不都合を無くすためにも
分かるべきなのに 分かりたくない、
ってのが甘えで、

相手の不都合でしかないものを
分かりたくもない、分かろうとする価値も無い、
ってのが見切り。

まぁ、人間の悪い癖としては
前者であるのに 後者だと思い込もうとすること。
意地になる、とでも言うか。

後者ではなく前者として物事を見ようとするのが
人間の強い方の姿勢、なのかもしれん。


多数派に限った話では無いな。
相手側に価値、能力、影響力があるかないか。
相手にそれがあるのに、認めようとしない、
無い、と思おうとするのは
結局自分の不都合に切り替わるし
真理の究明に遠回りになる。



理解をさせる側の話。
数年前から自分は記述の書き方を
随一気をつけるようになった。

区切り、段落分け、
知らなかった言葉や単語の意味を覚えるのもそうだし。
上手く表現できてそうにないけど
読み手にどうにか理解してもらおう、って考え方をやめた。
理解させる書き方を心がける。

あとはまぁ誤解や批判が来たとき。
まぁ普通に自分が悪かった、
冷静じゃなかったって場合もあるけど。

自分の言い分で相手に理解、納得を得られない際は
自分の伝え方が悪い。理解、納得させられなかったと
考えるように心がけてきた。

誰かが責任を負わなければいけない場合でもない限り
自分と相手のどっちが悪いか、正しいかなんて
多分あんまり問題じゃない。
相手の落ち度部分より 自分の落ち度の部分だけを
見ようとするのが大事なんだろうな。

まぁ実際出来ないことが多いんだけど。
器量の問題やな。


ただ、理解してもらう じゃなく 理解させる
全てが自分の落ち度とばかりに肩入れしすぎれば
相手は不誠実さを発揮し
「あえて理解しない」姿勢で付け込んでくる場合もある。
自分に落ち度が大きい場合は ある程度そうなっても
不誠実とは言わないし しょうがないけど
もう駄目だってなったら見切りの姿勢になるのも手。

場合や見る人によって違うし
はっきり これって言えるようなもんじゃない。
まぁ、自分の見解や器量などのバランスで決める。



理解を拒む ということは
見切りではなく 甘えである場合があるっていう
可能性もある。
…っていう今回の話を前提として
2,3つほど書きたい話があるんでまぁまた次に。


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
おっさん こんにちは
謙虚な文章ありがとうございます。

甘えとか見切りですが、御都合主義とか日和見主義を連想しました。サラリーマンの社会では、最大の侮辱は「変わり者」とみられること。仲間外れになり、差別または区別される。集団から孤立して嫌われることと同じです。
立場に違い、考え方の違いを見逃せば争いのもとになる。変わり者でも地位(社長とか)特殊能力あれば「カリスマ」になる場合はあるが、それはそれで問題も生じる場合がある。

日和見主義という考え方であるが、人は日和見であったりなかったり変化することも多い。蟻の社会では働く蟻が3割で、働かない蟻が7割いるそうだ。そこで、働く蟻を取り省くと、残りの蟻の3割が働き始めるそうである。

おっさんの指摘通り、バランス感覚が大事だな。何か問題が生じた場合でも、自分が悪いのか他人が悪いのか、現実ではグレーなことが多いので、ある程度のバランス感覚が重要。自己中な人は自分の感覚を重視するが、世間的な常識とか、他人の意見とともに自己主張もバランスが大事だな。
あじさい
2015/08/15 16:54

コメントする help

ニックネーム
本 文
理解を拒むという甘え 風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる