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zoom RSS 議論する上で相手に前提として求める道徳性の度合いを減らす

<<   作成日時 : 2015/10/28 19:05   >>

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愚痴が多め。

ここ一年で一つ 自分の中で変化したことは
他人に道徳性を求めることを諦めた。

というか、具体的には相手が
自分の価値観に基づいた道徳性を
持ち合わせているとは限らない、
価値観は人によって違うのは言うまでもないが
最低限ここは共通だろう、
という前提すらも違える場合もあるということを理解した。

そもそも物事は良く見るも悪く見るも 捉え方次第なんだから
それを良いか悪いか、完全に取り決めるのは無理。
良いか悪いかは捉え方の違い。



以前ブログで僕に来た批判で。
「実はもっと悪いことしてるんじゃないの?
 自分が書かないだけで。」
ってのが来て。
はぁ?って思った。

僕は結構この場で自分の犯した罪や落ち度を
自供することがあるけど
まぁ全部吐いてるわけではない、が
他人の自供を拾って匿名で責めてるだけの人間に
そんなこと言われたくない。
自分は一切素性を明かさないくせに。

そういう手段に出るな、とまでは言いようがない。
行動の権利は当人にある。
ただ、恥と知れ。胸を張るなと。

…と、当時思ったんだけど。
そう思ったならそこをもっと問い詰めてみるべきだったな、と。
そうすれば自分の考えようの無い
その価値観に至るまでの経緯を知ることも出来たかもしれんし
追求すれば相手は失言を認めたかもしれない。

自分の価値観で勝手に判断するのは悪い癖だった。




似たような話。僕じゃないんだけど。
ツイッター関連である人がなんか
匿名の人間に非難を浴びてた。
その人は非難してくる相手に対して
「私のフォロワーでもないくせに
 そんなこと言わないでください」
とでも返したのだろうか。
そしたら非難側は
「…はぁ?
 フォロー外から非難されてるとでも
 思ってるんですか?」
って呆れた口調で言ってた。

いやお前が呆れるわ。
フォロワーならそれこそ直談判してみろよ。
わざわざ匿名で書ける所で文句言ってこの卑怯者が。
って思った。




人の道徳性を咎めるくせに 自分自身が道徳がなってない、
そういう人間はよく見てきた。
自分自身がその例でもある。

だからそこはもう諦めた。
議論する相手が
自分の思う道徳性を持ち合わせた人間である
という前提が約束される、っていうことへの期待を捨てた。

まぁ追求を怠った自分にも落ち度はあるし、
自分の価値観や観念をきちんと相手より上に
置ききれてなかったのもある。
というか当時はその答えを出してなかった。

未知の価値観を持ち合わせている相手との応対を
もっと楽しんだほうが良いな、と。
でもこの認識に至らないとやっぱ大概
不快な思いするだけだけど。





間逆に向いた価値観、ってのは 作られる場合がある。
僕がその例。
前回書いたやつで。
友達を自主的に増やしていく人間に
友達が少ないことを馬鹿にされたのをきっかけに
友達を自主的に増やす人間の悪い見方、
増やさないことの良い見方を見出そうとし、
友達を作ることを負けとまで思い込もうとした。

当時は 嫌い、悪いことに理由付けるやり方として
相対的なものの見方しか出来なかったから。
客観的なものの見方が出来なかった。




まぁ、相対的な価値観の例。
ケンカで数人がかりで一人を襲ったりすること。
「正々堂々とやるべき」か
「勝てばいい」か。
まぁ 道徳性か合理性かの違いかな。
僕は元々道徳性を重視した考え方だから前者だったけど
因果の観点を重視するようになってからは
こういう例に関しても後者も理解できるようになった。



僕は中学の時 色んな奴と
敵対してたというか、
恨みを買ってた、迷惑かけられてたというか。
まぁ捉え方なんかいくらでも挙げられるけど。
敵視し合ってる人間が多かった。
不美人な女子が大半を占める。

攻撃方法も大概が 向こうが
悪口言うか物投げてくるか、で
こっちが向かっていくと逃げ出す、って感じの
ヒット&アウェイな戦法。
まぁ僕もこのやり方で返してたりしてたし。

で、ある日 醜女の一人が
「オイテメーかかってこいや!怖いんか!」とか
教室の外から挑発してきて
はぁ?って思って。
いや逃げるくせに何言ってんの?って。
(実際 向かっていったら悲鳴上げて逃げていった)
一歩譲って悪口言うか物投げて逃げるって
手段までは分かるけど
偉そうにそんなこと言うのは違うだろ、と。
まぁ、この挑発もただ
悪口に含む攻撃手段として使ってるだけで
正当性とかはどーでもいいのかもしれない。

まぁ、上記のネットで見た批判2件が
この件に似てるなと思い出して。


もしかしたら、その発言、主張自体を
含めての攻撃手段なのかな、と。

「自分が悪事を書かないだけだろ」とか
「こっちはフォロワーなのに
 フォロワーじゃないって思ってるんですか?」とか。

当人が正しさ、まぁ言うなれば
正義の旗として掲げている主張じゃなく、
その旗自体も 単なる投擲武器に過ぎないのかも、みたいな。
要するに相手にはプライドが無い。
自尊心(プライド?)が高いだけで信念、論理観念は無い。


推測として二つ挙げると
ただ嫌いだから攻撃したい、手段は問わない、か。
あるいは最初は正しさを主張するつもりが
自分で区別がつかなくなったのかもな。
なんかそうなれば元も子もない。


そーゆーのも含めて 相手に道徳性や正当性を求めるのは
期待しない、ってのを前提として考えることに決めた。
相手の頭を冷やす、ズレた主張を元の軌道に戻す、
口論ではなく議論として保つ、ってのを
こっちが意識してやらないといけないのかもしれない。




ちょっと違う話になるけど。
漫画「ワンパンマン」で
怪人が攻めてきてA級ヒーローたちが迎え撃つも
対抗しきれず壊滅的な被害を受けて、敵が去った後で
完全に遅れてきたS級ヒーローが
能力の無さ、ヒーローとしての責任について
A級達を咎め始めた。
当然A級はこれに対し
自分は間に合っても無いくせに何言ってんだ、
ってS級に反論。

怪人やヒーローは創作物だけど
似たようなシチュエーションは現実の出来事に置き換えられる。
こういう場合どっちが正しいんだろうか。
別にどっちが間違ってるってわけでもないんだろうけど。
心情的にはA級の方に肩入れするけど
人より上の地位に付けば見え方、価値観も変わるのかもしれん。


相手の落ち度を責めるんじゃなく
お互い 自分の落ち度に目を向ければ、って思うけど
それは理想論か。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
多くの人間は2面性を持っていると思うし、矛盾した心を持っていると思う。本人はその不条理に気が付かないことが多い。建前と本音、意識と無意識、表と裏。自分が善人と確信しているが、自分でも気がつかないで悪なのかもしれない。心に余裕がないと、不都合なことは納得できない。論理的なことより、腹に落ちるかどうかで判断する。頑固者は自分は柔軟な頭を持っていると思う人が多い。
2面性は現実にある。多くの人が良いか悪いか判断する基準は、出来上がったイメージに適合しているか、イメージと違うかである。同類は認めるが異質は排除しやすい。頭で考えたり、論理より、感情、雰囲気を重視するのが和の精神とか言ったりする。協調性、同調性を重視するのだろう。
あじさい
2015/10/28 22:07
おっさん!
少し前に朝の情報番組(とくダネ)でダルビッシュ有選手の弟が逮捕されたことに関して、コメンテーターの一人(確かデーブスペクター)から、『お兄さんがあれだけ稼いでるのだから、こんな犯罪に手を染める必要ないのに』的な発言がありました。
ちなみにダルビッシュ弟が賭博で手にした金額は約5,000万。
これってどうなんだろか?
クークラッカー
2015/10/29 13:51
あじさいさん
>不都合なことは納得できない。論理的なことより、腹に落ちるかどうかで判断する。
まぁそれですよね。自分としても実際難しいし。どうにか否定できる点を挙げられないかと試行錯誤してしまったりする。
相手もそれなのかも。
おっさん
2015/11/01 18:30
クークラッカーさん
はじめまして。その事件知らなかったんですけど
その話聞いただけでも優に10個ぐらい経緯とか思いつくけどまぁ不確かな要素が多いので。人格、兄との関係性、賭博の目的、金目的ならその理由は、とまぁ判断材料が少なすぎて ちょっと検索してみたら弟氏のちょっとよくない評判とかも浮上してきてまぁ 何とも言えない。
まぁコメンテーターの意見に一つ言うとしたら
兄が稼いでるからって別に弟が金持ちになれるわけじゃないですよね。僕が仮に宝くじ当てても弟にはびた一文譲らないし。まぁそんな感じです。
おっさん
2015/11/01 18:53
価値観の違いについてだが、道徳性についておっさんの基準普通の人とはずれがある気がする。普通が主流派であり、道徳より類似なものと同調するのであろう。

一般的に、理屈とか議論は相手を責めたり、自分に不都合な現実を納得するために「イソップの酸っぱい葡萄」のように厳しい状況から目をそらす道具として使われることが多い。

真意の追求といったことで言語、理論を考えることはマイナーな方法(私は支持するが)かもしれない。

諦めることは、前向きであるし次に進むステップだと思うので他人に期待することをやめることには賛成。

ただし、息抜きにはバーチャルな構想の世界で一時撤退して回復するのも重要。あなたはかなり「正しい人物」と思うが、世の中で受け入れられるのは難しそう。
あじさい
2015/11/08 09:57
ありがとうございます。
イソップの酸っぱいブドウ調べました。
ブドウが取れなくてどうせあれは食っても不味い、と諦めたって話。就職や恋愛で上手くいかず どうせOKもらってもろくな相手じゃない、落ちて正解だという考えに似てますね。それが心からそう思うか、悔し紛れのこじつけなのかは別として。
僕が意識するようにしてる思考は、きっとブドウは甘いだろうが力不足で取れなかった、と負けた事実の認識。今回の話をこれに例えるなら、サルを連れてきて取って貰う、ブドウは山分け、とするつもり。自分の情報の提供と相手の労働で相殺。
が、サルは9割ほど自分で食べてしまい ブドウを取れる自分に取り分を求めるのもおこがましいが1割譲るだけでも充分な善意、と主張される、みたいな。
サルは意地悪ではなく本気でそう考えてる。
まぁこんな感じの価値観のズレ。
おっさん
2015/11/16 18:27

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