風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

アクセスカウンタ

zoom RSS 自分の権利を見定めることとか

<<   作成日時 : 2016/01/08 00:23   >>

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 1 / コメント 10

2ちゃんまとめで読んだ話なんだけど。

幼稚園児の娘を持つ女性の書き込み。
幼稚園の振り替え休日に
娘は友達と遊ぶ約束をしてて、
義母(旦那の母、娘からすればお婆さん)が電話で急に

「孫ちゃんに食べてほしいものがあって送った、
 昼すぎに届くから待ってて」
って言ってきて。

娘は約束がある、と どれだけ説明しても
「孫ちゃんにどうしても食べて欲しいから!」と
断固として折れず
仕方なく娘には家に居させて、
娘は遊ぶ予定を台無しにされて泣いてた。

届いたのは常温保存で
賞味期限一ヶ月以上先のカステラ。
約束を保護にさせてまで家に待機させた理由が分からない。

電話で
「孫ちゃん喜んでるでしょ〜(ドヤ)」と。
娘は怒って話したくないと電話には出ず。

娘に悲しい思いをさせてしまった。
旦那に許可もらったし次からは絶対に断る!




って話で コメントでは
「次から頑張って!」などの共感や
「嘘でもついとけばよかったのに」
「先約を優先すべきだろ。
 仮に腐るものでも急に送ってくる方が悪い。」
とか。

で、中には
「娘より義母の言うこと優先とか良い嫁アピールか。」
などの批判も。



違うんだわ…。
これ 奥さん多分
「他者の言うことは基本的に聞くべき」って
前提が刷り込まれてるんだわ…。
僕がそうだったから。

今回みたいに
「この人物の主張を優先して 泣きを見た」
という前例を持たないと
断るという選択、その権利を自分が持ってない。みたいな。

僕がこの刷り込みで散々痛い目見てきた。
高校の頃とか散々借りパクされたし。
その個人に貸して、返ってこない、壊された、
という前提が無いと
物を貸すこと自体を拒否できない、みたいな。

あらゆる条件から論理的に判断し、述べるという
言語力、思考力を持ってなかったから。
「貸したら返さないと 分からない奴には
 貸さなきゃいけない。
 でないと自分が他者によって
 親切を受ける資格が無くなる」みたいな感じ。


なんかこの話自体からすごいシンパシー感じた。

独善的な価値観の祖母、
他者によって予定(特に楽しみにしてること)を
狂わされる悔しさ。
身に覚えが多い。



まぁ愚痴なんだけど。

僕には従兄弟が2人居て
幼い頃よく遊んでもらってて。
まぁ最後に会ったのは小学校低学年か高学年かって頃。
従兄弟2人がどうしてるかは度々
父や親戚(従兄弟の母)から聞いてて
なんかバンド始めた、とか。

今となってはもう別のものに人気が移ってるから言うけど
少し前 一時期国民的ブームを巻き起こした
某メディアの主題歌を歌ってた。
その頃 2007年 僕が高1の頃。

父から聞かされたんだけど
今度 従兄弟がうちに来る、と。
午後2時までには居る、ってことなんで
その日は学校が午前までだったから
余裕で昼前には帰れる手筈で。

当時僕は耳鼻科に通院してたんだけど
週に一回でも行けばいいものを
母は暇さえあれば行くようにちょくちょく言ってきた。

で、その日母が
「帰りに耳鼻科に行ってこいよ」と。
まぁ断りゃいいんだけど
僕には前述の刷り込みがあったし
ましてや「母の言うことは絶対」だったし
機嫌悪いのか威圧的に言われて
意見できる空気じゃなかった。

母の言い分に意見すること自体が怖い。
やろうとしたら涙が出てくる。
意見した途端 怒鳴られそうで。
爆弾やな。刺激したら爆発するかもしれない、みたいな。
実際そういうことをされた記憶自体は無いけど
そんな想像させるようなピリピリした空気を
母親はよく作ってきた。
まぁ、僕は親が怖くて反抗期は来なかった。

とりあえず言うことさえ聞いておけば怒られないし。
「子供に言うことを聞かせる」一点に関しては
母親のやり方は合理的だったかもな。


で、急いで帰って1時40分。
ちょうど車で仕事に向かおうとしてる父と会って
「(おっさん)が帰ってこないみたいだから
 たった今出てったぞ」と。

帰って悔しくて半泣きになって。
従兄弟にそこまで会いたかったのかは正直分からんが
予定を狂わされた、ってのが。
まぁ結局今 10年以上は会ってないんだけど。


自分の落ち度を上げるなら
その予定を母に話すとか 父に事情を話すとか。
まぁいくらでも上げられるし
論理的に考えれば 僕の落ち度が大きい。
何にせよ僕に不都合が発生したのは事実だし
今だ根に持ってる。





去年ツイッターで回ってきたんだけど
ある女性(おそらく高校生ぐらい)が
デパートのバイト中、おばちゃん客が
「ここって元旦は休みなの?」って聞いてきて、
そうだと答えたら、
「元旦にも開いてもらわないと困るんだけど、
 客の都合が分からないのか」
といったことを言ってきて。

バイトだって年末年始は休みたいし
私が休みを取れるのを母も妹も喜んでくれました。
バイトにはその権利もないんでしょうか?
どう思いますか? と呼びかけてた。

そんな感情論や個人の都合まで並べなくても
普通に女性にも休む権利があって然りだし
それ以前に決める立場でないバイトに文句をいう
客の常識の無さが目に付くんだけど。

若いから観念とか 論理的な自信とかが
定まってないんだろうな。
だから他者の同意を必要とする。

客も特に悪意は無くて 自分の発言によって
相手が傷つくことまで見越してない。
まぁ理解が足りなかった。


自分の不都合が他人のせいでも
他人に悪意があるとは限らないわけで。

こういう場合って 絶対にどちらかが不幸、不都合に
ならなきゃいけない状況ではないんだし。
そこに損や不都合が発生するってのは
勿体無いというか無駄なこと。


(結果的な)加害者が
気をつけるべき、ってのもあるけど
被害者になり得る側も
自分の権利を 持っているという認識
論理的な自信と 意見を言う力とか
まぁそういうものを最低限持たねばな、と。
自分にある権利を常々見定めたり
論理的な自信を積み立てると
自尊心は簡単に傷ついたりはしない。

まぁそんな感じで

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
面白い 面白い
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
被害者としての悲しみを主張することの そもそもの誤解
前に勉学に関しての教育法で遺憾に思ってることを挙げたけど 今回からは思想教育を何度かに渡って書くけど。 ...続きを見る
風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。
2016/06/26 13:25

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
哲学的な思考って「不確定な要素に確定的な理由を与える」ことに近い気がする

歴史の中の哲学者達も、人の有り様を言葉で紐解こうとして、結果自身の人生にある不確定要素に翻弄されたまま死を迎えている人があまりにも多い

考えることや、自分の思考の中を旅することはとても尊い行いだと思うけれど、対外的な要素に極端に過敏になって振り回されるのは悲劇的だと感じる

本当に自分が求めている事が果たせない理由を求めて思考を続けると、結果として不幸になってしまいがち
己が良ければ良いという意識というのは、己が本当に求める事を果たせる代わりに他人に対しての何かを失うということではないだろうか
ふむふむ
2016/01/08 17:22
続き

多くの犠牲を払って、本当に求める事を果たせず、だけれどそれを正当化するために思考をやめる訳にはいかない

それが哲学的思考がもたらす不幸そのものだと思う

人は心の底に幸福がある時、もっと違う事を思考する
自分の現状を自分に納得させるための思考は、麻薬のように長い年月をかけて人の精神を回復不能なまでに壊す気がする

前向きに見える逃げ口上
もっともらしく聞こえる諦めの正当化
努力を遮断する正論

その、どれからも幸せは生まれないんじょないかな
ふむふむ
2016/01/08 17:27
友人が飲食店で店員をやっている。彼女のストレスは、客が「ご飯大盛りでお願い」と言われることだという。その店では「ご飯大盛り」はやっていないので、言われると困るそうだ。人間は苦しむようにセットされていると思う。苦しむ材料は、大きくても小さくても構わないのであるが、人間は悩み苦しむようにできているのである。(経験則です。)
以前、障害者の番組で、禁断の実を食べると障害が治るが記憶がなくなるという話があった。番組の参加者は、その実を食べるのかどうかで意見は同じ割合あった。経験則から、人がプログラミングされているのは、苦しむこと、思い出を作ること、動き回ること、様々な経験を積むことが決定づけられている気がする。
今の世の中は悪が栄えて人々は苦しんでいるものだという前提で考えている。
だから、本当の幸せは例外で、ほとんどの幸せは誤解であると思う。
あじさい
2016/01/08 21:45
あじさいさんの、人の世に栄える悪という言葉に、不思議な感触を覚えました
煽りなどではなく、真剣に考えるキッカケになります
ありがとうございます

苦しみが多ければ善
豊かさが多ければ悪だと言ったルポライターがいました

善悪の物差しは、苦しみの量の不公平と、豊かさの量の不公平だと
これはとても悲しい考え方だと思います

しかし、今、人の世の善悪を改めて考えるとどうにもわからなくなります
いっそ社会主義国である方が美徳であるとするような思想のもとに資本主義を叩くきらいさえ見受けられる昨今、努力する弱者と、努力しない弱者を混同しているような気がします
天から餅が降ってくるのをただただ待っている人を救済しない事が果たして悪か
その横で努力の結果、手に入れた餅を食べる事は悪なのか、その餅を羨み騒ぐ輩が悪なのか
分相応という言葉の重みを感じずにはいられません
ふむふむ
2016/01/09 18:48
ふむふむさん
コメントありがとうございます。私の立場を説明させてください。・おっさんのブログを楽しみにしている。・このブログに支持者の立場でコメントしたい。・言葉は、当事者同士の会話で誤解少ないことが必要。・価値観が違うので、お互いの言葉の意味を慎重に理解したい。(言葉には複数の意味がるのでどの意味で使っているか気になる。)

そこで、おっさんの言語を以下のように考えています。・真意とは、哲学的、論理的な意味での真理に近い。・処世術とか人と仲良くするスキルの話ではない。・因果とは、仏教の因果思想と似ている。・ありがたい教えとは、道徳、儒教思想など。・現在の日本では、民主主義、資本主義、平等主義、法治主義であるがそれらに疑問を持っているが、最善ではないが良いのシステムとして考えている。どちらかというと保守。・人間関係を重視している。人と人の関係を重視している。

私がおっさんを支持している理由は、・文章がうまい。モラルが高い。流されることなく自分の頭で考えてる。しかし、現状は規模しい状況である。(収入の安定性とか仕事環境、休暇の確保など)・現状は人間関係のしがらみ少なく自由で今は良い状況である。

「今は悪が栄えてる」という言葉は、既存宗教(仏教、キリスト教など)では常識ですが、今の日本社会では誤解を生じる言葉です。既存宗教的な意味では、平和主義に基づく考えなのであおる言葉でありません。自分の罪を少なくする言葉です。
あじさい
2016/01/10 06:56
ふむふむさま

今の日本社会は資本主義の市場原理で動いているので、物質的豊かさ、収入格差、機会平等とかが重要なのでしょう。善悪というのも、市場原理で語られることが多いものです。イスラム原理主義とは、1000年前の経典に書かれた戒律を言葉通りに解釈し、善悪を決め、行動する考え方です。現実社会では不具合が生じることがあります。

おっさんの指摘する通り、善悪は相対的で時と場所で変化すると考えたほうが妥当でしょう。善悪の論じる場合に、善を肯定し、悪を否定するのが前提です。一部の高校生のように、悪がかっこいいい、善がかっこ悪いという人に話をすると誤解されます。
ふむふむさんのご指摘で、哲学的思考が幸福をもたらさないというのは現実です。
(本屋に並んでいる似非哲学本は、幸福になる哲学を語っていますが嘘です。)
私の考える苦を減らす方法は、生理心理学的な行動療法(エクセサイズ)等です。

ほとんどの人が幸せを目指すのは理解できますが、一部の人(おっさん)は幸せを目指すということより優先される目標を持っていそうなので、不幸になりそうに思えるものです。
あじさい
2016/01/10 08:52
答えのないものを探すことが生きることでもあると思うが、ゴールに到達出来ない生き方は不幸と直結すると思う

何でもそうだけれど、事、人生においては生まれてきた意味を実感できる達成が無ければ虚無によって心を食い破られる

思考という答えのないものを追うことを人生の本分とした時、人がどのような最期を迎えるかは歴史が証明しているわけだし、そのような結末を迎えない生き方を模索することを願うのみである
ふむふむ
2016/01/11 02:12
行動することなしに考えてばかしだとバランスが悪い。愚痴を言って何もしない人生が良いはずがない。
おっさんの場合は、漫画作家、ダンス、勉強等リアルに充実しているのではないか。このブログの一部だけだと、何もしない文句の多い若者の印象を受ける時もあるが、実態として行動力もあり思考とバランスとれているが、このブログでは愚痴を言ってガス抜きしているのではないかと想像している。
気がかりなのが、40歳までに幸福にならない場合はどうなるのかということ。
前向きにとらえると、期限を決めて頑張っているとも受け取れる。
あじさい
2016/01/11 08:10
おっさんが、世に言う、フリーター中高年にならない事を願います

努力の結果「職」としてお金を稼げないものは、最終的に「趣味」になってしまうので、若いうちの時間を「職」を目指して使うのか、「趣味」を目指して使うのか
はたまた、そのどちらでもないのか
いずれにせよ大きな課題だと思いますね
ふむふむ
2016/01/11 14:05
コメントありがとうございます。
内容的には前回の幸福の話の続きですかね。
考えない方が幸せ、ってのも見つけたけど 僕の20余年は 納得できない苦しみの方が多かったので。思考を止める気は無いです。止めたところで幸せになる道筋も特に見えないし。

ミュージカル好きって書いたけどダンスより歌の方です。むしろ踊らないミュージカル作品の方が好きだったりする。

40まで〜というのはまぁ 若いゆえに観念が定まらず迷走してた頃の一つの自虐の形というか。 まぁ 痛い思い出として笑い飛ばせるほどの現状でもないし一応残ってはいる、みたいな。
親が死ぬまでは一応生きて あとは適当に放浪して過ごそうって思ってます。余裕が出来次第変える、みたいな。
おっさん
2016/01/14 18:38

コメントする help

ニックネーム
本 文
自分の権利を見定めることとか 風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる