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zoom RSS 他者の啓発や主張の見方

<<   作成日時 : 2016/02/04 23:49   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 8

3年ほど前にとある人から
「なんで人間のことそんなに分かるの、
 本沢山読んだりしてるの?」
と聞かれた。
自分が評価してる人に評価されることは嬉しいもので。

まぁ、ほとんど読まないけど。
いや読みたいけど。
時間作れないし読もうとしても寝てしまう。
小学〜高校の頃は図書室で借りて読みまくったけどな。
それでも漫画や小説が多くて
啓発の本とかはあんまり読んでないけど。


最近ちょっと、啓発系の記述や主張を
自分より上観念を持った人間の
言葉、考え方のようには取れなくなった。
なんかピンと来ないというか。

「のび太という生き方」って本を
パラパラめくってみたらなんか
「ドジでのろまなのに優しく強い心の持ち主」
といった記述があって。
いや、前提ひどくね?って。
確かにそういうスタンスで描かれたキャラだけど
一個人をそんな落とした見方を
前提としての評価ってどうよ。
(まぁ漫画のキャラクターだけど)

 もしかしたらこの本は真理究明の観点において
 あえて初歩的な部分を着目させたのか。
 数学で言うところの算数のような立ち位置。
 タイトルからして 子供も興味を持ちそうな本だし。
 観念の幼いうちの人が「隠れた前提」を
 自主的に、自発的に見つけるのは困難だし
 ひとまず「ドジでのろま」という前提は確定した上での
 好意的解釈、「長所の発見」を促すことを啓発してるのか。


少し前 映画館で上映前に
バレエの監督のインタビュー的なのが流れてたんだけど
「言葉だと見え方は一通りだけじゃん。
 でもバレエだと見方によって様々な映り方がある」
って。
いや、言葉の方がむしろ
多種多様な解釈が可能だと思うんだけど。
なんかドヤ顔っぽかったし
「名言っぽいことを言っている自分」を演出したい、
薄っぺらい印象に見えた。

僕が理解できないだけで、本当にその方面(バレエ)の
一定の域に達した者でしか見えない世界を見て
持ちうる言葉でどうにか表現しようとしてるのか。
「達観した人間」なのか「薄っぺらい人間」なのか
ちょっと判断材料が少なくて判別付かなかった。



なんかネットで誰かの啓発だか主張だかの
ような記事で読んだ話なんだけど
「ツイッターで自分をフォローから外した人には
 とりあえずブロックすることから始めてみましょう。」
とかなんかそんな内容の。
いやブロックしたら結構関係終わりだと思うんだけど。
啓発やアドバイスに見せかけた、
自分にフォロー解除した人(読者)への
当て付けとして書いた記事のような印象。
 まぁ僕もたまに 非難してきた人間への
 当て付けとして記事を書くこともあるから
 そうだとしたら気持ちは分かるけど。
啓発としてはピンと来なかった。
まぁあくまで 答えでなく一個人の意見として
自覚してる書き方ではあった。



ちなみに言っておくと僕は感受性が豊かな方ではなく
理論を並べてもらわないと納得できないことが多い。
 それによって苦しんだことも多いし。
 まぁその辺の話はまたの機会にするが。

ゲームの話だけど
「ポケモンのNの部屋」、
「MOTHER2のムーンサイド」のような
間接的な恐怖表現が僕には伝わらず
ネットでの考察などを読んで
あぁ、なるほど と理解したり。

映画の
「桐島、部活やめるってよ」、
「生きてるものはいないのか」とか色々と
読み手の想像に任せてるような印象なんだけど
何が面白いのか全然分からなかった。
ネットのレビューなんかを見て初めて
あぁ、そういう見方があるのかと納得したり。


まぁ 幽霊だとか血のような直接的な描写や
セリフに交えた状況説明がないと
そういうシーン、主張意図だと読み取れない。


他者の主張や啓発に納得できないことで
ピンと来ない例の次は
主張に反感を持つ例。


昔、漫画家の沢田ユキオ先生がインタビューで
「あなたにとって漫画とは?」という問いに
「ズバリ、子供のもの!」という回答があって
反感を覚えた。
大人になったら読んじゃいけないのか、と。

まぁ、ユキオ先生の解答は覚えてないけど
確か 子供を楽しませる、といった意味で。
「大人は読むべきではない」
といった意図は含めていない。

そして僕が反感を持った理由は
当時、周囲(特に親)から
「ゲーム、漫画は子供がやるもの」
「子供向け=低レベル」といったニュアンスを
聞かされ、気分を害していた。

その時に見た ユキオ先生の発言を
この風潮に結びつけ、反感を持った。

…という
発言者の意図と、聞き手の背景事情を分析し
初めて 主張をストレートに受け取った。


去年の12月の頭に上げた診療漫画の
「川を渡る女」の話とかもそうなんだけど。


なんというか。
発言者の主張をそのままスムーズに受け取れたら
その発言者は聞き手(自分)より上。

発言者の主張をがスムーズに受け取れず曲解してしまう、
自分がある程度の理解に務めて
初めて納得、理解が出来る。
(でないと曲解に終わる)
という場合、自分にとってその発言者は
自分より上でなく、同等になる。


相手の言い分が「答え」でなく
「一意見」に落ちる。

「なるほど、そうか!」でなく
「まぁそういう考え方もあるよね」に落ちる。


もうこの件で 元々上に見ていたこの二方も
啓発の点に関しては 上には見なくなった。
というか他者全般に僕は そういう見方が定着してきた。
他者の言い分は「答え」でなく「一意見」に過ぎないと。

「あいつの言い分は意味が分からない!」で留まらず
自分が思案を巡らせ
「相手の発言、言葉の組み合わせ その意図を辿れば
 こういうことを言いたかったのだろう」
と 自分の方が理解するようにした。

まぁ、これらは
「伝達意図は真摯だが伝達力か読解力の
 至らなさにより曲解する事例」で。他に
「伝達側がそもそも不誠実だが
 理屈をこねて正当化している例」もある。

簡単な例を挙げるなら万引き犯が
「貧乏だろうと物を得る権利はある」と言うみたいな。


高校で僕のこといじめてた奴って
生徒会長になったんだけど 立候補の際
「みんなが学校に行きたくなるようにしたいです」
とか言ってて
既に一人 学校行くのを嫌にさせてるくせに
よくそんなことが言えるな、と憤ったが。

僕が理解するための解釈としては。
そいつの本意は その主張にあらず
内申書を上げるためにその肩書きを得るためのアピール。
まぁこのぐらいの嘘なら誰でもつくし。面接とかな。
建前と本音は聞き手として分離できるようになった。



あと昔見て むかついたのが
「丹波哲郎の大霊界 〜死んだらどうなる〜」
ってビデオなんだけど。
死後の世界をドキュメンタリー形式で解説する内容。
ナレーションによる主張と矛盾する展開や
僕の倫理観念とは異なる「この世の真理」とか。

・「死後は睡眠欲、食欲が激減し、性欲が増幅する。」
→死者なら生殖機能が一番不要になるはずだと思うし
 そこが増幅する理由が分からない。

・自殺は大罪で死後もずっと苦しむ
→自死が罪、という解釈なら確かにいくつか並べられるが
 あくまで解釈の域を出るものではない。
 そもそも何が罪かなんて人の価値観次第だし
 まぁ 裁く基準を決めるのなんて結局は人間なんだけど
 「天の絶対的な裁きを受けても当然の罪」として教えるのは
 どうも好きになれん。卑怯。上手く言えんけど。

・金持ちが亡者から逃げるために金をばら撒くシーン
→劇中で「霊界では金銭の価値は無効になる」って
 語られてた気がするんだが。矛盾。
 ていうか死後の世界に金なんか持っていけるのか?
 そもそも霊界で通貨が機能しないなら
 それを亡者が欲しがるのもおかしい。

 一応それらの矛盾の
 帳尻を合わせるための仮説を立てるなら
 死亡時の衣服類や持ち物は具現化される、
 亡者は生前の癖がある程度残っており
 そのため金に目が無い。等。


うっさんくさいビデオやな、と。自称霊能力者だっけ。
創作の物語としての発表ならまだしも
人に見えないこの世の真理、のような形で発表してると
どうも異議を唱えたくなる。
(まぁ創作もよく僕は批判してるが)

価値観の主張において 自分個人より上に位置する
「神」とかそういうものを持ち出すやり方が嫌い。
これは「おめでたい教え」でも通ずるものがある。
「悪いことをすれば天罰が下る」
「良い事をすれば天から幸運に恵まれる」とか。

先導者が幼子に「善悪観念」にエゴを交えて教育する。
「真理」を「真理」として教えない
「道徳」に捻じ曲げて認識を刷り込ませる。
そう教わった、それを信じた子供が後の人生で絶対
認知的不協和を引き起こし苦悩する要因を
植えつけている、ということを。
教えた側は多分自覚していない。
あるいはそれを踏まえた上でそう教えてるのか。

 僕はおめでたい教えを憎んでいるが。
 まぁ一応 その背景事情は僕なりに察知してる。
 社会を維持する上で 何らかの価値観の定義を
 民に共通認識として植え付けることは絶対に必要。
 殺し、盗み、は共通の悪、といったような。



自分が聞き手、判断する側として
「発言の意図」「背景事情」
「意図と主張は一致するとは限らないし
 させることを必ずしも重視してるわけではない」
など視野を広げ 心理や風潮を素で認識し
読解力を高めることで 理解は可能になった。


こういう見方が定着すると
他人の発言のに対しての不快感とかは減った。
違和感があってもその答えを自分なりに導き出せるから。



まぁ他者の意識が落ちたのではなく
自分の意識が上がったのだろう。

啓発や著作をする、本を出すほどの人間の思考と
自分は同等の思考を出来るように、
そのレベルに近付いてきたのかもしれない
と思うことにする。

まぁ、そういうわけで
基本的に他人の啓発とか結構
以前より軽視してるんだけど。

まぁ早い話 他者に「答え」は求めなくなった。
期待してない。
無いものねだりはしないものとしてるし。

悪い意味とかではなく
むしろそういう考え方であるべきなんだと思う。
観念の至らない子供のうちはまぁ仕方ないけど
物心ついた頃合から 人の意見を見定めるようにした方がいい。
信じない、反発じゃなく 過信、陶酔でもなく
尊重心は維持したまま 一意見に留めて受け取る。

啓発、主張、本 に関して語りたい噺はまだあるけど
ちょっと長くなったんで続きは次回。








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内 容 ニックネーム/日時
人の評価で、上観念とか下観念を意識したことはないが、信じれる人か、信じない人かという分類はする。普段接点が多い人は10人程度であるが、8割は信じられない人、2割が信じれる人。その境界はある程度しっかりしているが、揺らぐこともある。

答えがあると行くことは、問いがあるということ。
答えのない(わからない)問いはある。心が明瞭な時には問いがあるとすぐに答えが見つかる。しかし、調子悪い時、否定的に偏った場合は問いはあっても答えが少ない。

大部分の「信用置けない人々」の多くは、自己保身のために嘘をつくし、コミュニケーションは難しい。もともと、矛盾した存在であるので統一感を求めるのが無理な話。
あじさい
2016/02/06 08:08
わざわざ苦労を買わなくとも、もっと楽にもっと良い思考に辿り着けるだろうに…と、いつも思う

不器用と言えばそれまでだが、考えている間に人生が終わってしまいそうだ
ふむふむ
2016/02/06 11:57
>あじさいさん
観念の上下は 相手が自分の知らない様々なものを知ってると感じたら上、知らないものが多いと感じたら下に見てるって感じです。ただ上下意識とは少し違う。

>ふむふむさん
自慢するけど そのコメントひとつを元に 家への帰り道で10〜30分ほど思案し 論点、観点、着眼点、意図、等を数パターン割り出し 記事1,2つ分の量の噺を持ち出せる、ということが 僕はまぁ出来るわけで。
まぁそれらは置いとくけど。
思考を成長させるのは賛同より否定意見による違和感(不快感ではない)なんだろうな、と。

まぁ 僕をどう解釈するかは読み手の自由ですけど 僕はまぁ ただ答えが知りたいだけなので。
おっさん
2016/02/07 00:56
考えた結果を有効に使って生きることが目的ではないなら、その生き方で良いのではないかと思うよ

どこかの哲学者のように、考え、自分が納得出来る理屈を構築出来れば、悲惨な人生でもどんな死に様でも良いというなら、管理人さんの人生は満たされたものになるのでしょうし

しかしながら、思考というものはそれをどれだけ人生にプラス要素として反映して行けるかが大事なことなのです

道具の作り方を考えても、作って使わなければ不便で苦しいままではないでしょうか?
ふむふむ
2016/02/07 17:11
あなたはわりかし信頼できそうなので素直に
下観念(事情の表明、子供の駄々)と
上観念(自分なりの答え、相手を納得さすに務める言い回し)とで両方言ってみようかなと思いますけど。

「幸福の仕組み」でも書いたけど将来的にこうなりたいって意思はそれほど無いですし 悲惨な人生であろうとある程度は予期してます。それでいいかと言うならまぁ良くはないけどたかが人間1人の一生だし、と 真理の追求をしていくうち 素で「あぁ、もういいや」って思い始めたので。

もう一つ。
価値観てのは変わるもので。19歳前後の一番苦しかった時期に 一生こんな心境のままなのか、と思ったけど1,2年ほどで収まったし。21歳の頃の前向きな気持ちも1年で消沈したり。あとは現状こんな感じですけど。また変化があるかもしれませんし その時の価値観でしか出せない答えってのもあるので ただ今書きたい記述を残してるって感じです。

思考の結果を有効活用したい手立ては一応あります。その時が来るかは分からないけど。
あとはまぁ人と会うたびに「前より顔つきが良くなった」と言われますし。
おっさん
2016/02/10 22:40
まぁ要は 大丈夫ってことです。
おっさん
2016/02/10 22:41
20歳前後のころは価値観が変わりやすいが、30歳過ぎると固定になるパターンが多い。確かに、過去を振り返った場合に現在の価値観で評価するのは無理がある。環境が違うので。
真理を追究して悲惨な人生を送ることと、楽しく過ごして楽な人生を全うすることのどちらが良いのかという究極の選択。

例えば女性に尋ねると、ブスで幸せな生涯と、美人で不幸な生涯とどちらを取るかというと、意見が分かれるところ。

自分の価値観では「残念な人」が多くいるが、彼らは別な使命を持っているのかもしれない。例えば、遺伝子を後世に残すことについてい言えば、結婚の遅い知的階級より、子作りの早いヤンキーのほうが良いといえる。
あじさい
2016/02/13 21:36
宝の持ち腐れになっても宝を集めようともがくか(手に入る保証はない)どうかの違いでしょう

知識の探求にも、強欲の概念は存在するということです

何事も程々で済ませておかないと、費やした時間に首を絞められる事になることは、歴史が証明しています

人類の生活に役立つはずの科学の発展においても例外ではないように…

苦しみから脱却する為の思考でさえ、度が過ぎれば囚われる縄を太くします

自由だと思われがちな思考の中にさえ、限度という概念が存在する事を人は往々にして忘れてしまう生き物ですから
ふむふむ
2016/02/14 00:45

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