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zoom RSS 因果の観点に移したら変わった価値観 大切なものの理解とか

<<   作成日時 : 2016/03/20 23:57   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 6

去年の後半に書きかけのまま放置してた話があったんで
書き上げて載せておく。


僕はこの数年で 人生から見て大きく変わったことは
道徳より因果の観点に趣を置いて考えるようにしたこと。

正直こっちに慣れた方が楽。
心情より論理を重視するようになって
感動もしなくなるけど同時に
悲観するような気持ちが減る。

「悲しさを知っている人は 人に優しくなれる」
とはよく言ったもので。
別に僕は元から優しくはないけど 道徳から因果に趣を変えて
物事をよりドライに見るようになった。

情け というものの度合いが
他人に対しても 自分に対しても減る。

元々は自分への戒め、世間、社会への
甘えを減らすための考え方だけど、
自分がこうあるべき、という考え方を定着させると
他人にもそうあるべき、と考えるようになってしまう。


あと僕は中立というか 誰の敵にも味方にもならない、って
スタンスを目指すようになった。
人間関係のトラブルとかの話を読んで
どちらかに肩入れしたり あまりしなくなった。

まぁ、だからいじめ問題とかも別に
被害者の味方を心がけたりしない。
単純に負けた奴がゴミ。

 前に 同じ発言でもその人の立場、
 都合が良いか悪いかで
 発言の本質が変わってくるって書いたけど。
 僕は一応 心境的には
 「やられた側」(都合が悪い側)の
 立ち位置としてこう考えてる。
 言うなれば自分への戒め。


まぁ、それでも
一般的に理解を得るのが難しく、
自分が共感、理解できる事柄において
弱い、被害者になってる人が居たら
それなりに味方したいとは思った。
(言うならいじめ問題は一般的に流布してる問題だから
 自分が懸念するまでも無い)


2ちゃんで読んだ話だけど

「アイカツ」っていう女児向けの
カードで遊ぶアーケードゲームがあって。
まぁ僕の世代じゃラブ&ベリーみたいな。
で、ラブ&ベリーは結構
一昔前の着せ替え人形みたいな造形だったけど
アイカツは結構今時風の萌え形の絵柄。
そのせいか女児だけでなく成人以上の男性にも人気があって
女児に混じってそのゲームを遊ぶ中年男性とかを指して
「アイカツおじさん」なんて言葉が生まれて。

で、まぁそんな某アイカツおじさんの書き込み。
デパートで女子小学生にアイカツのカード盗まれたと。
抗議したら保護者に不審者扱いされて、不利な感じになる。

けど証拠が見つかったりとか
警備員と顔見知りだったりとかで一応裏は取れて。
学校を交えての論争になって。
そしたら母親が
「そもそも大人の男がこんなゲームやるのがおかしい!」
とか論点ズラしてキレだして。
で、校長がしっかりした人で
きちんと母親を叱責というか説教して
カードを取り戻せた、みたいな。


まぁ、警備員と校長が味方してくれてよかったな。
賛同してくれる第三者が居ると心強い。
味方が居ないにしても 返せと主張する権利はあるけど
世間からのイメージ的にあまり強い立場にはなれない。
僕なら早い段階で諦めてしまうかもしれん。


他にも色々 夫のコレクションやグッズを
妻が勝手に売った、捨てた、だとか。

彼女がペットとして飼ってる爬虫類(イグアナ?)を
彼氏が気味悪がって捨てようと言ってきたり
彼氏の親が不法侵入してきて撃退しようと箒で叩いたりだとか。

人の飼ってる犬を泥棒主婦が盗んで
飼い主がそいつのマンションまで追いかけたら
泥棒は犬をベランダから投げ捨てて犬は死んで。
警察、弁護士を介入しての徴収でも泥棒主婦はなんか
ふてくされたような態度だとか。
まぁいずれもネットで読んだ話だけど。



またある書き込み。主婦視点。
子供が友達の家に遊びに行った矢先で 
友達の兄の部屋に保管してある 海外から取り寄せた
生産しなくなった未開封のカードパックを
兄の制止を振り切って開封して、
そんで何百万もの賠償金を払う羽目になったと。
これってどうなんですか?と意見を求めてて。

それって結構有名なトレーディングカードで 歴史も深く、
海外じゃこれを巡って殺人や傷害事件も起きてるとか。
詳しい人が教えたりしてて。

まぁコメントの中に
「一部にしか理解できない趣味で
 そんな大金請求するのがおかしい。
 無視して良い。私が許した。」と。

それに対し
「↑こいつの大事なものが壊されて
 周りからフルシカトされればいいのにな」
ってコメントが。

本当それだわ。
同じ目に合わないと分からないんだろうな。
なにが「私が許した。」だ…。




昔 弟と色違いのポケモンの取り合いになって。
どっちに所有権があるかって話で。
まぁ話が大きくなって
…というかケンカできない家庭だったんで
親にも伝わったけど理解は得られず。

父親なんか特にアレ(偏見持ち)だから
ニュースで見たゲームやカードのトラブルで
オタクによる殺人事件とか なんかの事件を引き合いに出して
「ほら見ろ!」とか言ってきて。
僕と弟はゲームをやりすぎて
感性がおかしくなってる、と。

まぁ、その色違いのポケモンはなんやかんや
弟に取られずに済んだんだけど。



まぁ、実際 トレーディングカード盗まれて
相手を銃で撃ち殺した、って事件もある。
小学生同士で。

こういう話を読んで その人を異常と見るかどうか。
(まぁ”常”とは”異なる”って意味では異常だけど)


常軌を逸してしまってはいるけど
僕は普通だと思う。まぁ冷静さは大事だけど。
大事なものを盗られたらそりゃ殺したくもなる。

普通か異常か、を判別するに当たって
その対象となったものが何なのか、とか
関係ないというか意味が無い。

金とか命とか それに関連付くものなら基本
大事なものだと一般的に認識されてる、共通の概念だから
理解を得るのは容易いけど。
一部にしか理解されないものはそれが難しい。


善か悪か、正常か異常か、なんてのは
突き詰めると
理解してる、理解するよう試みる気があるか無いか、
どちら側に肩入れするかどうか の違いなんじゃないかと。
そう思うようになった。


大事にしてるその対象が
ゲームのデータだろうと 印刷されたカードだろうと
古本だろうと イグアナだろうと 虫だろうと。
本人にとっては大事なものってだけの話で。

まぁ、少数派ってことは 当人側が
周りに理解を得られる努力をする必要がある立場なのか。


僕は先述のアイカツおじさんのトラブルのようなときに
強い立場で居れる自信が無いし
世間的に「異常」を貫ける強さが無いし
助けてもらうため呼べる味方も特に居ない。
だから諦めた、ってのもあるけど
あんまりこだわって物を集めたり持たなくなった。
 ブックオフでの買い物も長いことしてないし。
 欲しいものはあるけど。


まぁ、自分が理解を持てて 味方がいない人で
肩入れする要素が充分だったら
その時 味方したいとは思った。

2年前 国際展示場のイベント設営の仕事での休憩時間
トイレにスマホを忘れて、戻ったら無くなってた、
って従業員が居て。
僕はタブレットでネット見てたんだけど。
その人が探すの手伝って欲しい、と言ってきた。
まぁ僕もよく分からないまま その人の言うとおりに
スマホサーチアプリ?をダウンロードして
検索画面を見せたりして、まぁ出なかったんだけど。
あの時もっと親身になって
手伝ってやったらよかった、と後悔してる。
どの道見つからなかったと思うけど。




元々僕は 悪い因果の発生源にはならないように、と考えてた。
第三者に被害を招くようなことをしてはならない、と。

例えばまぁ
数年前、高校時代のクラスメイトと偶然会って。
そいつ嫁と子供連れてて。

もし自分が憎んでる相手が嫁と子供を持ったら
そいつに報復することは
間接的に嫁や子供にまで被害を招くことになる。
そうなったら報復が出来なくなる、
親がクズでも嫁と子供には罪が無いから、と
そんな風に考えてたというか 懸念があった。


I組に被害を受けた後、ミュージカル座で
同じ劇をやるメンバーの人に そのことを話したら
実はその人 法律、政治関係の人で
その会社どうにかしてやろうか、と提案された。

あの社員どもはともかく、あそこで働いてる従業員達に
路頭に迷わせかねないようなことはやりたくない、と。
まぁ断った。
本当はなんか 他人に頼んで仕返ししてもらうような
ことのように感じて、それが嫌だったんだけど。
まぁ建前として言ったことも それなりに本心ではあった。


まぁ、この頃はまだ道徳の観点を重要視してたから。
あれから2、3年。
道徳の観点が虚飾、という捉え方の発見、
因果の観点に考え方を移したら
道徳性より合理性でものを考えるようになってきた。


まぁ例えるなら
先述の 子供に罪はない、恨みの対象以外に因果を向けたくない、
って考え方だけど。

基本的には変わってないが重要性は薄れた。
むしろ合理性で考えると
「相手の守るべきもの」に攻撃した方が効くな、と。

子供に罪はない、は
責任を着せるのは相応しくない、って意味で
報復に利用するべきではない、という意味合いは薄れた。


だからどうする、ってわけじゃないが。
別に意図して恨みのある相手の家族に何かしようって気はない。
僕は本来 道徳重視の価値観だし。
ただ、正義や道徳のようなものの重要性が僕の中で薄れた、ってこと。
自分の行いで発生し得る三次被害に対しての関心が薄れた。


数年前の僕は今より根暗だったけど
昔の方が道徳的、善人としての価値観を大事にしてたな、と思った。



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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
次元大介のようなハードボイルドな人物は
反道徳であるが反社会的ではない。
現実の矛盾を批判を加えず客観的な見方でとらえる。
周囲に流されないために、強靭な精神が要求される。

アドラーが、不幸の原因は人間関係にあると言った。
子供のころ、大人の人間関係はギブアンドテイクだと言われた。しかし大半の人間関係は一方的に略奪関係または双方奪い合う関係が主であり、理想的な等価な関係は少ないのが現実。
あじさい
2016/03/21 20:00
ホントいつも両極端だよね

0か100しかない…みたいな

現実には0も100も存在しないわけだけれど、それでは生き方が分からなくなっちゃうのかな?

自分の人生の因果を自分で産んで応報されてるのだから、そりゃ思考くらいしか八つ当たりどころがないのかもしれないけれど、不毛な思考の連続は性格を老けさせるよ

まるで地動説を信じてる時代の人みたいだ
ふむふむ
2016/03/21 21:14
>あじさいさん
強靭な精神ってまぁ これさえあればそもそも悩まなくてすみそうなもんだし 中々難しそうですね。筋トレとかで得られるだろうか。

>ふむふむさん
むしろニュアンス的には0か100でしか物事を見られなかったけど 現在、今後は臨機応変に変動させられるように、って感じですけど。
まぁ言葉の意味や解釈は人によって異なるから重要なのは 意見する人の本意をきちんと僕が読み取ることかな まぁ自分がそうする以上 読者にも同様のものを求めますけどよろしいですかね。

思考への八つ当たり←上手いことを言いますね。まさにそれ。
おっさん
2016/03/22 23:26
いつでもどうにでも流動できる状態で価値観を保持していないと、人との価値観のすり合わせも出来ないし、新しい価値観に遭遇してそれを受け入れる時、過去の自分の価値観を否定することになりかねない

思考というものは己の価値観を言葉にすることであり、それを確定するような探求手段や探求経路は他者との人間関係の構築や、自己の性格面での軋轢を生みやすい

人は人、自分は自分
この言葉の真意は、他人に迷惑をかけなければ自己の価値観を貫いても良いという意味ではなく、人を尊重せよという意味である

価値観や哲学的思考に答えがあってはならないのは、理屈上の正義や善が、現実では害悪になるからである
ふむふむ
2016/03/23 20:13
子供の頃に幸せな家庭で育っていれば楽しい思い出などたくさんあって、そのような家庭を人生の目標に設定することはたやすい。しかし、良い見本を知らずに悪い面だけ強調して見て育つと将来に希望が持ちにくい。見方を変える必要がある。

動かなければ何も始まらないし動けば何とかなる。何か結果がでる。自分が良いと思ったことはあれこれ考えるより素直に行動したほうが良いこともある。
あじさい
2016/03/23 22:17
人生に於いて自分の価値観を良い方向に変えるには、それを与えてくれる人間に出会う他無い

壊れた機械がどう足掻いてもマトモに動けないように、修理出来る人に出会うしかしょうがない
それが、人が一人では生きていけないと言われる所以ではでないだろうか

価値観や思考、それらをひっくるめた性格というものこそ、自分一人だけでは矯正出来ない部分だと思う
独りきりでは愛情を理解出来ないように…ですね

人は自分が持っていないものは、他者から与えられない限り発露出来ないのだから
頭で理屈をこね回しても、それは童貞が性行為を体験したと言っているのと変わりない
ふむふむ
2016/03/24 10:50

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