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zoom RSS 実年齢と観念形成は必ずしも伴わない

<<   作成日時 : 2016/07/17 02:08   >>

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まず 数ヶ月前に書きかけてそのまま放置してた記述を
貼り付けてから本題に入る。


ーーー↓

ツイッターでたまに 過去の教師に言われたこと、されたことが
大人になった今になって改めて考えれば やはりおかしい、という
教師の言動を否定する書き込みを見る。

教師が生徒の納得できないことをやる、
生徒が大人になっても気持ちは変わらず、
先生が間違っている という印象を抱かせることを
否とする。

先導者や上に立つ人間は中立的であり、
生徒に言い分、教えを納得させることを
是とする。

という道徳を前提で記述を書くけど。



うろ覚えだが ツイッターで
「小学生の頃、
 自衛隊のイベントで見た戦闘機が格好良かった
 と、作文で書いたら担任に
 戦争で何人もの人を殺した道具が格好いいですか
 と書かれた。」
って話。

おかしいよな?
造形美(あるいは機能美?)への賞賛に対して
使用意図から価値判断し否定してる。
論点がずれてる。


僕も昔 似たようなことがあって
自衛隊のイベントで戦闘機の飛行ショー見たけど
作文では僕は
「音がうるさかったです」と書いた。
赤ペンで書かれた先生の意見は

「自衛隊の操縦技術は素晴らしいですね
 でも戦争でどう使われたかについても忘れてはいけませんね」
といった感じのコメント。
肯定的意見の後に、着目すべき注意点を促す書き方。
ツイッターの例よりゃずっとマシやな。

多分 平和教育が義務付けられていて 教員は子供に
戦争を否定する意思を刷り込む義務があるんだろうな。

でも前者のツイッターの例はどちらかというと
その刷り込みで影響を受けただけの人間の意見、って印象。
まぁ、この教師 もしかしたら新米だったのかも。

観念の備わってない子供の頃は
親、教師などの大人の意見が正解、という風に思ってしまう。
だから否定されると自分が何か間違ってると印象づいてしまう。

だから子供の言い分を否定するのって特に気をつけないといけない、
って風にで思ってるんだけど。

ーーー終




視野を広げる、見えない前提の存在を知る、とか
観念、思想、認識の段階というか。
考える能力は時間の経過と積み重ねで成長していくものだが
ただ年を重ねれば自然に成長するってものではない。


で、その ある一定のレベル に達してない人間に対しての
呼び方とか無いのかな、って思って。
「ロジカル・チャイルド」っていう呼び方で
最近 自分の中で定めたりした。

ただこれは、もとい
この言葉に限った話ではないが 特定の人を指して
「そういうタイプの人間」として侮蔑するために
その単語を用いるのは 道徳的ではないので多用しない。
むしろ世の中 チャイルドの方が多いし。

善悪二元論を妄信してるとか
人によって正しさは異なるという事実を
そもそも認識してないとか



一例として挙げると。

大事な会議に向かう途中
道で倒れている老人が居たので
その人を助けて、会議に遅れてしまい
上司から叱責、処罰を受ける。

その時、原因であるのが老人を助けたこと、と説明して
叱責への反論、処罰の撤回を求めることは筋が通ってない。
「なら困ってる人を無視しろと言うつもりですか!」とか。

それとこれとは別。
老人と会議は全く関係ないから。
老人を助けたことが会議に遅れたことを
正当なものにする要因にはならない。

両方を取ることが最善という見方もあるけど
片方しか取れない場面で 当人に取捨選択の自由があった。
そこで老人の安全を 会議より優先した という。

まぁその選択が正しいかどうかを決めるのは
人による解釈の違いだし。
当人にとって後悔の気持ちが強くなれば
その選択が間違いと言う解釈になりうるし
それでもこれで良かった、と思うなら
他者の意見より自分の考え方を重視し続ける
強い観念を持つことに務めて 胸を張ってればいい。

ただ、処罰の撤回を主張できるかどうかは別。


まぁ 老人を保護し会議に遅れた、
もといそれを言い分に正当性を主張してきた社員に
どう思い、どういう処遇を与えるかも
上司、会社側の選択の自由。



これでフィクション(ドラマ)なら道徳的観点から評価され、
処罰すら撤回されるパターンとかあるけど。
その場合
・主人公が”理由を問われて”原因を話したが
 正当性は主張してない。
・主人公はただ黙って処罰を呑む所存で居たが
 第三者あるいは上司が偶然それを目撃していた。

のどっちかだったりするけど。


老人の保護を先決するのが道徳というか、
道徳性を自分の力量の範囲で
老人と会社のどちらにどの程度割り振るか、なんだけど。

「なら困ってる人を無視しろと言うつもりですか!」
って主張は まぁ大概
先述のようなドラマなどに準じた展開への期待。

もとい
「選択への処罰 = 選択の完全否定」と一概に解釈し
もし自分に処罰を選択するなら
「会社は道徳性を持たない悪だ」という
脅しのような 質の悪い言動にすら見える。

あるいは その解釈に代わる
こちらが納得できる答えを相手に求めてるのか。

まぁこれは大分マシな例だけど。





道徳教育、思想教育で教える 考え方は
その根本、どういった形で形成されてきたか、を簡略化し
その流れを辿った最新の部分 先端のみを教える。

まぁ例えば
「自分がやったことは 人に禁止する資格が無い」
という判断を学んだとしたら。

これに条件が当てはまり そのように判断すると
不都合が発生する場面、矛盾も多く出てくる。
「自分がやって後悔したから 人にも禁止したい」
といったパターン。

その「禁止」を細分化すれば
注意、促し …から
咎め、非難、人格否定 …まで様々。

そこを自力で分析し、自分なりの判断基準を決めるか
他人に習った判断基準に固執するか。


後者を ロジカル・チャイルドの 一種だと見てる。

この「他人に習った基準」に固執する人間は
素直かひねくれてるかのどっちか。
「こうあるのが正しい はず」か
「なぜ、こうでないといけないんですか?」か。

「こどものじかん」「自殺島」なんかのシーンだがで
親の言う正しさを素直に信じてて
ある日その正しさが折れたり(親があっさりと撤回)と。
世の中で苦しい思いをしやすいのは
先導者の言い分を素直に信じる人間だったりする。

 後者の「なぜ〜?」への固執に関して
 個別に書きたいことがあるけどまた今度。





最先端の部分のみを教える教育。
仕方ない部分もある。
形成された過去を辿って古い順から教えていってもキリが無いし
最先端さえ知っておけば普通に暮らすのには困らない。
そもそも教育者自身がその経緯を理解してるとは限らない。


比喩するなら コンピュータの使い方は
ソフトやローマ字の打ち方さえ知っておけばある程度は使える。
コンピュータの歴史、プログラミングまで網羅する必要はない。

例えば 戦争について学ぶ際は
どういう事情でそれが起こったのか、より
最先端たる価値観である
「戦争は間違っている」という解釈を優先的に教える。
そこを教えればひとまず教員側は責任を果たしてるから。

そこから深く探るかどうかは 学んだ側の勝手。




先程の 会議の遅刻の話より
単純かつ不誠実さが含まれてる話を2つ。

昔 福岡で専門学校の先生が話してた生徒の話。
遅刻してきた生徒が
「起きるのがダルかったんで遅れました」と
先生が叱責(注意?)しようとすると
「正直に話すのは良いことなんでしょう?」と。


僕が中学の頃の話だけど
消しゴム忘れたから貸して欲しいと言ってくる友達に
新品だから角は使わないことを条件に消しゴムを貸したら、
ニヤニヤこっちを見ながら角を使おうとするフリをしてくる。
1,2度ならいいけどいい加減しつこいから僕も声を荒げたら
同じ班の別の生徒が
「やるなって言われたらやりたくなるだろ」と。



もう論理を組み解くのもバカらしいが。
正しさの条件、判断基準を中途半端に持ち合わせている例。
悪いというより、 ただ 幼い。
前者は大人になりたての学生だし
後者は秀才気取ってたが 所詮中学生だし。
しょうがないっちゃ しょうがない。


まぁ冒頭で述べた通り ロジカル・チャイルドは
齢さえ重ねれば自動で卒業できるというわけではない。


僕はもう親の観念、価値観なんかとっくに見下してるから
もう当て擦りのように挙げる必要も無いんだが
まぁ事実に基づいた例え話としては利用できるので語るが。



僕の家族って互いが互いに悪影響与えすぎて
もう結構 心とかバラバラになってんだけど。
一番の被害者は 力量的に一番弱い弟だった。
(弟を被害者扱いすることで自分が善人面する気はない。
 僕自身も弟を苦しめた一員であるし 弟自身も潔白ではない。
 ただ素直な解釈を語る。)

まぁ当然弟はその結果 家族を嫌い、
連絡とか結構無視してて ほっとけば絶縁するレベル。
両親は自分の行いによって弟に嫌われた、と
因果を理解してるならまだしも、
納得しきれてないような印象があったから。
1月に実家に帰ったときにその辺にちょっと触れてみたんだけど。



僕が中学生、弟が小学生の時の話。
僕のクラスメイトが遊びに来てて確か
僕、弟、そいつとの3人でテレビゲームしてて。
夕方になってゲーム片付けた後
弟は携帯ゲーム機の電源を入れた。
そしたら母親が激昂して
ギャン泣きする弟を怒鳴りつけながら蹴りたくった。
「お前散々ゲームしてたやろうがー!!」と。

父の場合はよく弟をバカにしてからかってた。
弟が顔真っ赤にしてキレたりしても余計面白がって。
逆に、父が弟を褒めてるのを見たことが無い。


再三言うが、その場面で
僕は弟を助けてもないし、追い討ちをかけても無い。
ただの傍観者だから善人面する気はない。
僕も当時弟に結構ムカついてたりしてたし。
ざまぁみろ とは思ってないが(思えないほど過度)
母の暴力に関しては
自分じゃなくて良かったとすら思った。



まぁ正月に 両親の言い分からなんか
弟の意図的に見える疎遠に疑問を感じてるようで。
せめて 何でそうなったかは理解しろよ。と。
その2件を挙げて問うてみたいんですわ。
当時の心境を。


母は「ゲームばっかりしよって頭来たから」で
父は「可愛いから」
だと。


とりあえず動機は明白になったが
道徳的な観点においての正当性を
立証し得る言い分にはならないよな?


母の方は「ゲームは悪」みたいな印象が前提としてあるんだが
弟の方はとくにそう思ってるわけではなく
この時点で認識が共通のものとして成立してない。
弟の視点からすりゃ ただ遊び足りないからゲームの電源入れたら
いきなりわけもわからず罵声と暴力を浴びた、って解釈。
母の言い分を要約すると「頭に来たから殴った」っていう
ジャイアンと同じレベルの動機。
口頭で注意するというプロセスを飛ばすほどの
大罪か、というとそうは思えない。


父親に関しては。
そもそも動物には他者を攻撃することに
快感を感じる心理があるんだろうな。
まぁある程度なら 関係が円滑になることもある。
(攻撃といっても 比喩するならくすぐり的な)
まぁそれが一方的だったり度が過ぎてたりしたら
問題視されたり敵意を持たれる場合もある。
弱い者いじめが楽しいからやる、ってのが因果なら
それによって嫌われるのもまた因果。


僕ももう親は怖くないし
徹底的に問い詰めてもよかったけどな。
僕も別に親いじめる趣味無いからその答えが出た時点で
あぁ、そう…って打ち切ったけど。
やっぱりもうニ、三言ぐらい詰めてもよかったか。


幼い頃は観念も作れてないし
判断基準も ろくに持ち合わせてないから
大人の言い分が正しい(暴力も当然)かのように
思い込まされるけど。

ある程度観念が形成して
かつての大人の言い分を今一度見直してみたら
本当に「そんなもん」だったりする。
たかが人間一人の思想だし 所詮は。

分からないけどな。
その言い分のみから勝手に判断しても。
相手の方はもっと深い考えがあって、
反論してみれば更なる言い分を引き出せるのかもしれない。
 まぁ浅薄な僕の両親に限ってそれはないだろうが。


別に老い先短い人間に思想の改善は求めないけど。
価値観を変えるっていう心労の割に合わないだろうし。
母は僕が家を出てから色々考えて反省してるらしいが
父は自分を正当化するために言い訳を続けてる。
どうせ余生しか無いから当人の好きにすればいいが
無様やな、と思う。

僕も先導者の思想の植え付けを妄信してて
中途半端に素直だったりひねくれてたりしてて
数年前に信じてた正しさが折れたんだけど。
まぁその過程を乗り越えて
真理究明を目指したりするようになれた つもりではいる。



さて。
「親」「先導者」に偏見、悪印象を持たせる書き方した。
中立を意識してる体裁である以上は
相対的、擁護としての意見も書くけど。

人格、思想としてはもう蔑視の対象だが
その親に色々与えられ育ててもらった事実も無視はできない。
人格、環境を万全に整えた者だけが
子供を作るべき、と言うなら
その条件を満たせてる人なんてほとんど居ないわけで。
人間誰しも取りこぼしてる部分はあるから
同じ社会に属してる人間が 理解、許容し合わなきゃいけない。
まぁそのためにも各々の器量や観念は高く持とうとした方がいい。

ってことで。




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内 容 ニックネーム/日時
「とっちゃん坊や」という言葉がある。思慮・分別のない幼稚な大人をさす。

一般に大人になると成長するのは年下を扱うのが上手になること。

日本人は、すべてが基礎教育を受け、学問を仕込まれ、他人を屈服させるような理屈を言うように教育され、競争し、戦うこと、意義をもつこと、目的と計画と、実行力とその成果を評価されて育ち、それを「善」として、徹底的にたたき込まれて育った。

希望のないところに絶望は存在できない。希望に満ちた人生は、絶望に満ちた人生よりもはるかに始末が悪い。
あじさい
2016/07/18 22:18
世の中の仕組みへの理解と、知恵が育たない大人は子供より始末が悪い

空気の読めない大人は、わがままな子供よりタチが悪い

自分を曲げられない大人は子どもと同じだ
ふむふむ
2016/07/20 20:30

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