風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

アクセスカウンタ

zoom RSS 創作に潜んだおめでたい教えと 表現規制の是非

<<   作成日時 : 2016/12/29 22:22   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

色々書いて長くなって上手くかけてるか分からんが
まぁ小さな文章を寄せ集めてる程度に思ってもらえれば。



10代にも満たないうちに
毎年30個ものクリスマスプレゼントが貰えてたり
毎月2万円ものお小遣いを貰えてたら
それは当人にとって「幸福」ではなく、「当然」になる。
その人が何かをやったことに対して得られた対価ではなく、
何をやらなくても 当然として受けられる処遇の基準。



世界仰天ニュースのダイエットの話とか。
よくあるのが、親が娘に高カロリーで美味しいものを
毎日与え続けてて、肥満体に育って、
失恋などを期にダイエットを始める、という。


この間、ある親子連れを目にしたんだけど。
小学校低学年かそれ以前の年頃の女の子で
すごく太ってて、ピンクのヒラヒラした
お姫様みたいな服を着てた。

勝手な推察を述べるけど。
親が甘やかしてんだろうな、と。

子供の幸せとか考えてなさそう。
幸せになって欲しいと
なんとなく”想って”はいるだろうけど
”考えて”はなさそう。


大分前に書いたけど 人が必要とする評価の対象は
まず幼少時は 親、親族、家族で。
親から、幼い子に対しては大きく評価する傾向にあるから
「良く 解釈される」ってのは難しいことではない。

成長するにつれ、
友達、教師、先輩、後輩、会社、世間・・・
といった具合に 広く、浅く、と
誰に見られるか、重要かが変わっていく。



幼い時期の 親からの高評価は目いっぱい受けるだろう。
その後「家族」以外の社会に入って。
他人からの叱責に耐えられる心の強さが備わってるか、
運動で成果を出せるか、
同期の子供達にバカにされる要因が無いか。
女子なら年頃になれば恋をするかもしれないし、
その頃その風体でその想い人からはどう見られるか。
面接とかでも過度な肥満体型だと
マイナス印象を持たれた例もあるらしいし。


親はそこまで考えてるんだろうか。
美味しいものや欲しいもの与えて
綺麗な洋服着せて 親が眼福を味わえれば良い、って感じか。

 まぁこの懸念は、その人間がこれから先
 何十年も生きていかなきゃいけないことが前提で、
 もしその子が10才までの命、だとかなら
 この世の良い部分ばかりを与えようとするのも納得だけど。


ものを考えない先導者は、
他人の言い分をあっさり真に受ける。

例えば、考え無しに
毎日から揚げを娘に食わせてるような親が
「栄養バランス問題、カロリーを摂りすぎた女の将来」
なんて話を聞いて考え方を改めた場合、
即日から急に食卓を急激にカロリーを下げた物に変える。

 あとはおもちゃを買うと約束してたのに
 やっぱり買わない、みたいな。
 正当な理由付けとしては、
 「やっぱり贅沢は良くないから」という
 他人から聞いた思想。


まぁ、常に100与えていたものを
急に0にする、みたいなことをバカ親はやる。

子供としては理不尽な目に合ってるだけだから
むしろこの出来事が悪い方向に動くと思う。






人生を積み重ねていくその初期に
先導者のエゴで刷り込まれたある種の思想を
おめでたい教えって呼んでるけど。

ひとつ言えば あたかもこの世が善人の為にある、
という風に 前提を刷り込まれること。
僕はこれが気になってて。

最初からこの世に対して無闇に好印象ばかり植えつけなければ
後々に苦しみも減ったはずなのでは、と。




「天使にアイム・ファイン」の話。ネタバレ有り。

読み手に訴えかけようとする、というか
ある思想や観念を植え付けようとしてる宗教映画だけど。
観る人に前向きにさせようって意図は見える。
不幸からどうにかして立ち直る様が描かれてる。


5年前の震災は色んな作品に影響を与えた。
 映画「ヒミズ」とか。
 直接その事件の話を持ち出したり、というより
 劇中では 震災が起きた、と仄めかす程度で
 直接的な単語は出さないんだけど。


アイムファインでは
震災、原発といった単語こそ出さないものの
「福島」と、他県に腫れ物扱いされて
野菜が売れなくなった、という背景がそのまま持ち込まれている。



オムニバス形式で
・いじめを受けている少女
・ガンを携えた捻くれ者の女優
・選挙で落選した政治家志望の男
・震災が原因で親の八百屋が稼げなくなって、
 進学を諦めなければならない学生。


まぁ、気になるのが ご都合主義な展開とか色々。


少女はいじめを隠そうとしてたことが親にバレるんだけど。
この母親が、いじめの相談サイトに載ってる
解決までのフローチャートを真に受けたり、
学校に乗り込んで 自殺したらどうする、と言ったり
相手の母親との対談で攻撃的で揉めたり
問題を大ごとにする。

これ、絶対に頼っちゃいけんタイプの親やろ・・・。



天使が少女に
少女が生まれた時の、祝福されているビジョンを見せる。
あなたは必要とされている、と。


出来事によって発生した感情(愛とか)ってのは
永続的なものではないからな。
「生まれたとき周りの皆が喜んでくれた」ってのを
糧にするにも限度がある。せいぜい10代そこらまで。
(まぁ、当事者が11才だから当てはまるが。)

出産っていうのも 人生で感動的に解釈しうる出来事の一つで
何年、何十年か経過すればそれも
「あぁ、そういうこともあったな」って程度の話になる。



最後に少女は いじめてくる女子に
「あなたも私と同じで、親に愛されてる自信が持てないから
 私を虐めるんじゃないの?」
と、本意を突いて諭し、和解。


実際こう上手くはいかないからね。
その意図すら履き違えてる場合もある。
単純にいじめが楽しいから、って相手にはどう対処すんだと。







創作でよくあるシーンのひとつが
「愛でどうにかなる」解決。
今にも息を引き取る間際の人に
涙が零れ落ちたり接吻したりすると息を吹き返したり。


きっとこの展開が考えられた当初こそ
新鮮で感動的だったんだろうが
あまりにも使いまわされてきた現在
「よくあるパターン」になってしまってる。

まぁ、読み手が 創作物をいくつも
見てきた人ばかりとは限らないし、
この作品でのこの描写を新鮮に感じる人もいるだろうけど。

僕は「死」や「不治の病」は
簡単に治せるものであってはいけないって思ってるし
それらがあっさり撤回される話は好ましくないんだけど。

このガンを患って余命を宣告された女優は最後
奇跡で ガンが治る、って終わり方。

生死観が現実と乖離してる
ファンタジー、ギャグとかならいいけど。
こういう 現代世界を舞台に、
現実に起こりうる問題と向き合う話で
こういう奇跡は駄目だわ。僕は。

本来の形と乖離させた認識を
創作物によってもたらしてはいけない。




何が正しいか、(正しいと解釈するか)は
人それぞれの都合で変わる。
例えば家族が居る人にとっては
「血の繋がりは大事」だという解釈を誰かに教わることで意識し、
家族との繋がり、もとい自分自身の人生を好意的に見れる。

もし家族が居ない 天涯孤独の人からすれば
その観念に基づけば 血の繋がってる者が居ないことに悲観しうる。
だから「重要なのは心の方。(同じ血だろうと所詮は他人)」
といった解釈を見つけることで救われることもある。




「死」を悪く捉えて、なるべく回避すべき、って
意識を人々に植え付けるのは
大概の人が健康体だから。
「死(自殺)」が常に選択肢として
傍にあるものと思うべきじゃない。

だけど健康でなく、長くは生きられない、
諦めるしかない人にとっては
「死は悪」という解釈は適切ではない。




作品を評価するときに
別の作品を持ってきて引き合いにするのは
良くないのかもしれないけど。

「天」っていう麻雀の漫画での最終章では
癌で死を迎える老人が 人生観や
死は恐ろしいものではない、という解釈を後世に伝えた。



漫画「ブリーチ」の作者に 病気で亡くなった少年から
この漫画で救われた、という感謝の手紙が届いたらしいけど。

あの漫画は死後の世界とかが明確化されてるからかな。
病気の少年にとって 死の恐怖に怯える気持ちが減ったのか。


僕も昔 手術はなんとなく恐ろしいものって印象だったけど
ブラック・ジャックを読んでその印象が緩和された。
 僕は手術受けたわけじゃないけど。

真理かどうかは別として
その概念に一定の理解を得ると恐怖は減るのか。




天使にアイムファインは、
生が希望、死は絶望って解釈を変えないまま、
「奇跡の力」っていう非現実的な方法でガン患者を治した。

これ見て誰が救われんの? って。




死の回避に限らず、絶望的な状況にある人物が
偶然 外部的、他人の力で 状況が好転するような類の話は
僕は好まなくなった。数年前から。

その奇跡が起こったから幸福なら、
それと同様の出来事が起こらない人は不幸なのか、って。



ガン患者の担当医による
「心の持ちようが大事」って言い分は良いけど。
無闇に悲観的になって情況が好転するわけではない。

余生を少しでも安らぎ、
人生を見つめなおす機会になるかもしれない、って思ったけど。
ガンと死を迎えること自体が撤回されてハッピーエンドはな。






紛争地域や疫病のある村に生まれて、
殆どの人間が常に悲劇を覚悟しながら生きなければいけない。
って国に比べたら日本は全然 安全で平和。

悲劇を常と意識させ、生きることに覚悟が必要、
ってほど「基準」を下げて 認識を刷り込ませる必要はない。
けど 楽観できる世界でもないからな。
バランスやな。




ある人の発言なんだけど。
「幼少時は、世の中が安全で善に溢れている、って
 安心して思える時期でなくちゃいけない」
という感じことを言ってた。

幼少時より 過度な待遇、偏見や思想の刷り込みは控え、
危機感を持たせ、多くの価値観があると知っておくべき、って
思ってる僕とは真逆やな。

価値観が異なる人は ある条件を見てないか、
誤解や勘違いがあるか、って場合が多かったりするけど
この人は純粋に 価値観が違うんやな、と思った。





さてまぁ おめでたい教えの話。
これを風潮として悪く言っても、
実際それが起きてる現場、件を指しては
あまり強く批判できない。

何故なら、それが起きてる場面では
大概 感動的な場面だから。




天使にアイムファインの ガンが治るシーンも、
ガンの女優は過去に友達を死なせてしまって、
ずっとそれに縛られてたんだけど。
その友達の霊が現れて、女優の身体に触れるとガンが消えた。

あぁ、許されたんやな、と ジーンとした。




大人が子供に物を買い与えて
子供が喜ぶ場面だけを切り取ってみれば
微笑ましい一面だし。



例えば優しいお婆さんが孫に
「正直でいたら絶対お天道さんが見てくれる」
なんて言ってる場面に

科学的根拠が無い、
宗教観からきた偏見の植え付けに当たるからやめろ、
世の中の悪意を甘く見すぎ

・・・なんて野暮な言い分を並べて突っ込みたくない。



おめでたい教えの危険性というか 強みは
「感動させること」って部分。


「地獄への道は善意で舗装されている」なんて言葉がある。

人が親切丁寧に案内してくれる道筋を
考えなしに辿っていくとやがて地獄へと行き着く。
(・・・って捉えてたんだけど
 調べてみたら意味は全然違うらしいので
 気になったら調べてみては)

カロリーの高いお菓子や揚げ物ばかりを
多く与えてくる親には悪意は無い。
考えてないだけ。




まぁ、人は感情で判断することが多いから
その認識の植え付けが遂行されてる
「感動的」な場面を批判しても 説得力を持たなかったりする。

おめでたい教えへの 僕なりの解除方法を述べるとしたら

100与えるのが常になってしまってるものは
90・・・80・・・と少しずつ減らして慣らしていくとか。

その感動的な場面からある程度時間が経った
関係ない時に、その場面での思想と真逆の見解を伝える、
客観的な観点から見ると数ある価値観のうちの
一つに過ぎないことを仄めかすとか。

そんな感じ。





おめでたい教えの要因として
「創作で描かれる感動的な場面」を懸念してる僕は
「SF作品に対し科学的に有り得ないと批判する人間」
のように 見て取られる可能性もあるだろうけど。
そういうのじゃなくて。


正直
「暴力的なゲームや漫画を好んだ子供は悪く育つ」
「その少年の人生にこれらの作品が目に触れなければ、
 違ってたかもしれないのに」
といった説は間違ってると思ってない。

殺人を犯した少年の趣味を調べると
過激なゲームや漫画ばかりがあった、これが原因か。
なんて報道を見たら
「まぁ、それらの影響だろうな」って思う。
その解釈が一番 整合性が取れるなら無闇に否定しない。
(報道に嘘がないことが前提だが)


こんなこと書いてるけど僕は 表現規制に加担、賛同する気はない。


どんな存在や概念も 良くも悪くも影響を与えるのが当然だし。
まぁ 数千人か数万人に一人ぐらいは、
一線を越えてしまうほど悪い影響を受けた結果も当然出るだろう。

けどその数%の為に表現者側が自重する必要は本来無い、
変わるべきはその数%側だって思ってるから。
 少数派である、不都合を被りうる側である、と条件を二つもそろえてるし。


「血の繋がり」の話を例に上述したけど
人は自分の都合の良いと思う側、それに感化した側での意見を
正しい、って思いたがるから。

「責任」を担いたくない 犯罪者の親、
「子供を持つ」ことは自分に当てはまるが
「ゲームや漫画が趣味」は自分に当てはまらない、という人が
ゲームや漫画が規制されるべき、と主張するのも自然の理だけど。



僕は表現規制には反対。
読み手が個々に気をつけるべきだと思ってる。
 僕自身がゲームや漫画が趣味、という私情も一因するけど。







さて話を戻すけど。
元も子もない事を言うけど、
表現や創作は 好きに描いていいと思う。


なんだろうな。
学生時代いじめを受けてた
ある漫画家さんの作品なんだけど。

巻末で
「学生の時は周りには
 コイツしばきたいわぁーって思う人間ばかりでした。
 (力が弱いから無理でしたが・・・)
 けど、この業界では色んな人に
 優しくしてもらえて感謝してます」

と、かつての周囲の人間への宛てつけのようなことを書いたり。

当時「非実在青少年問題」が騒がれてたんだけど
その漫画の作中で その条例を具現化したキャラを
漫画のキャラたちがやっつけるシーンを描いてたり。

あぁ、この人本当にいじめられてたんだな、と思った。
なんかこの行動自体に共感する。



いじめを行うクラスメイトや
勉強ばかりを強いる教師や親、
粛清の権利を持つ警察、政治家、
といった立ち位置を作品の中で醜悪に描いたり。
こういった偏見がまた次の偏見を生むかも・・・
と思ったりもするんだけど。

「社会」のようなものが自分より上に位置し、
それが敵のように感じてる人の
叫びというか 抵抗というか。
創作を通して意思や価値観を
主張、表現してるんだと思ってるので。

表現者だって舞台の上に居るように見えて
良くも悪くも いち人間だから。
言い分が弾圧されるべきじゃない。





まぁ、でも 社会の中で上に位置し、
人を教育、諭す側となると別。

道徳の教科書に載せる物語だとか、
倫理観を植えつける教材だとか。

そういった立ち位置で描く話が
こんなんでどうする、って思う所もある。



上手く言えてるのか分からんけどそんな感じで。




天使に“アイム・ファイン" [DVD]
ビデオメーカー
2016-12-16

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 天使に“アイム・ファイン






テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
正月早々の話題にふさわしくないが、よくできた漫画を読んだ。「天」も最終回を読んだ。感動した。

死と生は逆の状態ではなくて、我々は同時に合わせて持っているとも言える。そもそも、十分に生きていない日常の人間には、死を理解できない、または考えることはできないのかもしれない。
都会で元気な若者の姿を見るのは楽しい。心の中までわからないが、少なくても表面上は上手に生きているように見える。
人々の悩みの大部分は、自然破壊でも地球環境の問題でもなく、身近な人との関係が多い。快適か不快か、友好関係か対立関係か?

私の人生観は「天」の赤城氏に同意する。世の中とか社会は「善悪」という点で批判もしたくないし、同調する気もない。この世に未練が少ない。「幸福の科学」では、輪廻転生を肯定的に受け入れているが、私にとっては輪廻することは苦労を増やすだけで転生したくない。
暫く人生を自由に楽しみ、静かに消えるのが良しと思う。
あじさい
2017/01/01 21:42
赤木氏ですね。

輪廻転生は僕も信じてる方です。ただ記憶が引き継がれないと思うので 過去の人生で苦労したからもう嫌、とは思わなくて済む印象。
おっさん
2017/01/05 01:48

コメントする help

ニックネーム
本 文
創作に潜んだおめでたい教えと 表現規制の是非 風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる