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zoom RSS 会社に負けたと納得した。 認識と勝敗

<<   作成日時 : 2017/05/12 20:59   >>

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前回の続きだけど

人は自分の都合のいい解釈を一番に取るものだと思うから。
会社の方はもしかしたら退社した僕を
「負け」とか「逃げた」とかいう風に見てるかもしれない、
ってのがまたムカつくんだよな。

自分の考えが正しいという自信を持つためには
他人からの賛同が必要で。
あの事業部の悪質さを僕の観点で書く事で
辞めて正解って意見を貰えたけど。
それは僕の主観の話だけが元で、
僕に肩入れしてくれてる人の見解であって。

賛同は感謝するが
これでいいのか、って疑いは消えない。




「バクマン。」のセリフで
(あくまで実在の仕事や企業を元にしたフィクションであり
 いちキャラクター像としての
 発言でしかないということを踏まえた上で)
「作家は編集にいいように振り回され
 挙句売れなくなったら捨てられる」

ってセリフがあるんだけど。
僕がそんな感じかもな。

僕の場合は自主的に辞めたけど
「クビにしたのではなく あくまで社員が自主的に辞めた」
という、正当な口実を会社に与えてしまった、
って解釈は疑いすぎか。



会社と僕とじゃ 力はやはり
向こうの方が上なんだし。

倫理を度外視して、
「他人が自分に文句を言ってきてるが
 自分は気にせず平然としている」
っていう状況の立場が「勝ち」だと思う。


振り回され いいように扱われ
ボロクソにされて弾き出てきたんだから。
あぁ、僕はあの会社で「負けた」のか。と。

日中 例の事業部でのことを思い出して
未だイライラするのが
「会社が悪」という賛同をもらった後でも消えなくて。

やられっぱなしになった自分に対しての
イライラもある、ってことかと納得した。

勝ち負けの観点だと 単純に僕が負けた、
ってことかと、素直に認めたら
あの事業部のことを思い出してイライラする癖は無くなった。




「会社」っていう社会の中で、
色々と取りこぼしがあって ミスが発生して
僕の落ち度として扱われたりすることもあるし
僕が迷惑を被った場合は その要因の連中は
知らん顔するか 都合を盾にするか、で。

僕の不都合が 他人の
「悪意」や「怠惰」によるものでなく
「それぞれの都合」によるもの、ってのは分かる。
子供じゃないんだから。
でもそれ踏まえた上で謝罪とかはするもんだろ、と。

それをされなかったりすんのは やっぱ僕の
人間の価値 とか 地位が低いから、なんだろうな。

じゃあ僕はこの会社で仮に出世していって
今度は部下に責任を押し付けるなどして
仕返しすればいいのか?って風に考える。
さんざん嫌ってた「嫌な上司」のタイプになるな。






僕のこれまでの人生で結構
「目上の人間」からの悪意を受けることが多くて。

僕はまともに部活に所属してたことは無いから
上下意識も 悪い意味で学べてなくて。

その認識を持つ人間からの
火の粉が降りかかるようなことは多かった。

一切関わりの無い上級生とか、
僕にとっては世話にもなってない顔も知らない
赤の他人でしかないんだけど 相手からすると
「年下だから高圧的に振舞ってもいい相手」として
認識というか ターゲティングされてることが多くて。


僕にとっては見ず知らずの他人が突然
非常識に迷惑行為を働いてくる、なんだけど
向こうからすればそれを正当化する理由を持ってるんだよな。
僕が認めるかは別として。

僕はそういう人間を「自称先輩」って揶揄してるけど。

客観的な立場から見るとどうか、ってのは。
多分 同じ社会内(学校)の人間なんだから当然のことで、
僕の認識がおかしい、ってことになるんだろう。
今まで認めたくなかったけど。



同じ社会の人間ってだけで
「見くびってもいい相手」として
勝手に認識されて絡まれるぐらいなら
「社交辞令が必要な社会外の他人」の方がいい。
って思ったのが
僕が社会に属することを嫌ってる理由の一つ。




多分、僕があの会社で目指すべきだったのは
「部下には温厚で、年下の上司には敬意を払い、
 年上の上司に対しては 自分が正しいと思うなら
 立場に屈せず歯向かえる人間。
 上司には嫌われてて出世は難しいが
 新人には慕われてるから蔑ろには出来ない。
 年上が年下に威張るのを共通認識とすべき、と
 統率している社会の中で異端、反乱分子」

っていう人間像。
僕自身の人生に対しての復讐の形。
きっとこういうのを目指すべきやったんやろな。

もしまたG社かどこかしらの会社に
入ることになったらこれを目指すことにしようと思う。









あの会社に負けた、と素直に認めたきっかけ。
コメントで賛同してもらえた事と。
こないだニコニコ超会議の帰りに
「ぼくは任天堂信者」っていう
ピョコタンって人の実録漫画を読んでて。

中のエピソードの一つで。
中学生時代の修学旅行で 行き先の京都で
どこを回るか、っていう班会議で、
「任天堂本社に行きたい」って案を出したら
班の人間は反対してて、
それらを説得して賛同させた上で
任天堂に電話して本社案内の約束を取り付けた、って話。


この人すげぇ…って思った。

僕なら多分反対された時点で諦めて
不満のある思い出として残るだけ。
というか当時こういう行事には非協力的で
周りの人間に任せっぱなしだったから。


 一応似たような思い出はあって。
 中学時代の修学旅行で沖縄に来て班で行動してて
 昼食時、「タコス」を食べれる店を見つけて。
 僕は昔からタコス食べてみたかったから
 そこに行きたい、といったんだけど
 女子3人は沖縄まで来て
 「モスバーガー」に行きたいとか言ってて。
 班の全員が常に一緒でないといけない、
 って決まりがあったのかは覚えてないけど。
 僕ともう一人の男子でタコス屋行くから
 お前ら3人でそっち行けばいい、って言ったんだけど
 その班長の女子が融通聞かない奴で。
 僕が頑として認めなかったら女子の方が折れた。
 タコス食べた後は こっちにしてよかった、と納得してた。

 まぁ、それとは別に。修学旅行の予定を経てる日。
 どこを観光するか、をネットで調べて
 金運が上がる木、とか護符、とかを扱ってる所があって。
 行きたかったけど 修学旅行の実行委員が
 話しかけるのも嫌な奴だったからその時点で諦めたりした。


他人任せにするのは確かに楽だけど
自主的に動く癖を持たないと不満を持ちやすいってこと。





聞いた話なんだけど。
昔、とある社員が 会社の新しい企画として
ボーカロイドを使おう、ってプレゼンしたんだけど
会議で反対されてお流れになって。
それから数年後、反対した人達の思惑とは裏腹に
ボーカロイドが世間で流行って。
「だからあの時自分はこれを使おうって言ったんだ!」と。
その社員は悔やんでる、というか 怒ってたらしい。



善悪とか 倫理とか 成功するかとか もう関係なく
状況を 自分の都合の良いように変えた人間が
勝ち、ってことなんだろうな、って思った。




労働条件に関して僕に嘘を吐いた上司だけど。
多分 向こうは自分なりに嘘をつく行為自体を
正当化する理由を持ってると思う。

とにかく人手が必要なんだから
ある程度誇張しても増やすべき、
道徳は後回しでいい、
後から「本当」に変えていけばいい。みたいな。


営業やったりもしたから。
売る側としては 倫理を最重要視してられない。
商品を買ってあまり使い勝手が良くなかったとしても
その辺の責任は客の方に持ってもらうしかない。

例えば飲食店の宣伝で
「おいしいですよー」って言うにしても
美味だと認識できるかは最終的に客の感覚に委ねられる。
だから「おいしい」という完全な保証はない。
けど、それを踏まえた上でもやる。


NHKの集金とか 駐禁の切符切りとかも
その人なりの都合だとか正義だとかあったりするんで。
自分の不都合を 無理に倫理の問題に当てはめようとすることが
かえって自分自身も苦しむことになる。


あのI組とかも 僕が辞める際
「お前が真面目になった時、望むならまた雇ってやる」
とか抜かしてたんだけど。
自分が不正を行ってると思ってる人間の口から
こんな言葉出ないよな。
きっとあいつらは自分達は正当な事をやってると思ってる。



善悪二元論も 主観でどう判断するか、でしかなくて。
自分が正しく、相手が間違ってる、って思ってても
相手も同様だったりする。

現実での勝ち負けって、勝った側は
「ざまぁみろ出し抜いてやったぜ」とすら思わなくて。
負けた側だけが 勝敗を可視化してる。




「昔は悪だった」自慢をする奴。
子供の頃、罰が軽いから悪さして
大人になってくると罰則が重くなったり
単純にやりたいと思わなくなってきたり
環境や心境が変わったから
ただ「やらなくなっただけ」なのに
改心したつもりになってる奴。
僕は嫌いなんだけど。

個人の観点で考えると、
こういう生き方の方が良いのかもしれんな。


たまに2ちゃんねるとかで
「大切な人を傷つけてしまって反省した話」を
ポエムみたいな書き方で書く奴居るんだけど。
多分 本気で傷つけられたことないんだろうな、って思う。
それまで運よく 傷つける側だったけど
大切な人ではなかったから気にならなかっただけで。




会社に入る前、実は結構警戒してたんだけど。
悪質なブラック企業とか社内トラブルの話とか読んだから。
そんな人いなくて。善い人達で。
だから油断したのか。
周りの人間を敵として警戒する意識が減ってた。



あぁ、そうか 自分は負けたのか。と。

きっとこの世の勝者ってのは
「善い人」でありつつ、
他人を自分の都合に合わせて動かせる人間。



せめて不満を解消、改善しようと
動こうとする考え方にはしておきたいな、と思う。











ぼくは任天堂信者
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「ぼくは任天堂信者」
作者の行動力がすごい。
意外と結構 貴重な資料だと思う。
ネットでも見つけられないような
ゲームの歴史とか事情とかが記載されてる。

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内 容 ニックネーム/日時
太宰の人間失格で、「世間とは個人じゃないか」と書いているが、「会社とは個人じゃないか」とも受け取れる。狭い範囲で考えれば、数人の仲間で、尊重されれば最高の境遇になる。

善悪とか、良い悪いということに悩む場合は、2択ではなくて別な視点では、重視するかしないかという選択肢もある。仏教では「執着心」をなくすことが目標で、執着心がなければ他人の意見、態度も流すことができる。

ブラック企業では、一見善人もいる。社員に罪悪感を植え付けて、自分を責めるようにする場合もある。また、個人攻撃が常であれば、個人に落ち度がなくてもあたりかまわずだれでも罪悪感を植え付けているのだろう。
あじさい
2017/05/14 07:40
社会は嘘でまみれているのは事実であるが、良いところもある。矛盾する考え方を共存することが難しいので、考え方というのは偏りやすい。色眼鏡をかけて見ることは、その眼鏡をはずすことが非常に困難であることを理解すれば、どんな色眼鏡を選択するのかが大事なのだろう。
あじさい
2017/05/14 07:44

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