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zoom RSS 価値観を柔軟にと

<<   作成日時 : 2014/11/18 22:37   >>

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18日に僕のこれまでの考え方を根底から覆すような
発想に至ってしまったんやけど
それまでの考えの経緯やら書き溜めた分から消費していくわ。


僕は一応 正しい(まっとう、出来た)人間に
近づこうとは思ってる。
 そう見てくれてない人も結構居るけど
 まぁその分自分が出来てないってことなんだろう。

だから自分にとって都合の悪い、否定するような意見だったりしても
一応聞く耳持つようにしてるし
多数派とか常識がそうなら合わせようとしてる。

だからコメントとかで言われたとおり
「まぁ」「〜とゆう」って言い方も減らすよう意識してる。

別にそんな悪いと思ったからじゃないけどね。
映画試写会ので出演者のコメントとかすげぇ
「まぁ」が多かったりするし
ネットで「とゆう」もわりとよく見る言葉だし。
別にそんな言うほど特殊でもないな、と。

まぁ かといって良いもんでもないし。
読み手が目に付くぐらい多い、ってなら減らそうか、と。
正しさを武器に叩くような奴の人間性はともかくとして。

よっぽど許せない、合わせるわけにはいかないものなのか、と
考えると別にそうでもないし。
この程度で個性が無くなるわけじゃない。




どうすんのが、どう考えるのが正しい判断か、って考えるようになってから
他人の言動への疑問や憤りが減った。

昔、僕が友達少ないのを馬鹿にしてきた奴が居て、
僕はそいつが正しいとは到底思えなくて。
考えてたのが
友達や仲間を増やそうとする意思はそもそも
動物として弱さを数で補おうとする本能だから
自慢できるようなもんじゃない、と
相手のステータス感覚、言い分の否定

その次が
友達多いのを自慢して少ない奴バカにするために
こいつは友達増やしてんのか、と
人格の否定に入った。


で、今。
友達多い方がいいのも その辺僕が劣ってるのも認めるし
別にそいつは自慢や見下し目的で増やしてるんじゃないんだろう。
ただ口論でそれを武器にしてしまう分 浅いってだけ。人間が。

人格を悪く思ってるのは変わらんけど
それほど特殊なことではない、よくある駄目さ って程度の認識。
「お前は○○するために××を伸ばしてんのか」って
相手に反論の余地をあえて残すような皮肉めいた言い方もなるだけ避ける。
 それを言って自分の失言を省みる相手ならこの言い方もアリやけど
 こーゆー奴はむしろ逆上して話が終わらないから。




人間の悪い癖の一つだと思うもの。
0か100のどちらか一方にしか行かない、偏る所。
フィクションの悪役って大体そんな感じやろ。
悪い人間の一例を見て全人類滅ぼそうと考えに至ったとか
あるいは絶対正義みたいな奴。
 夜神月、海軍、ジャベール辺りか。

フィクションのこの考え持った奴はほぼ”力”持ってしまってるから
自分の正義を行使して 脅威として扱われ、
主人公辺りがその考えを変えるために奮闘したり。


現実の人間はまぁそんな力無いから 悩み苦しむ。
脅威じゃないから変えようとしてくれる人も居ない。
 相談できる信頼に足る相手が居る運がいい人も居るけど。
挙句事件起こしてしまったり。


偏った価値観持ってしまった力のある人間あるいは団体
現実でも居るけどな。
「○○(すること)はいい事でしかない、悪い事でしかない」
みたいな。
世間の一部に悪、問題として見られる。




僕はもうそんな所が多かった。
力も無いから自分がしんどい思いするだけ。

勉強とか体型とか 馬鹿にされたり否定されたりしたら
むしろ相手が良しとする方向と逆に行ったり。
こんな奴らが正しいわけがない、と。
言い分と言い方を一緒くたにしてしまった。
正確には言い分は正しい、言い方が悪い。

親のせいでケータイで理不尽な目に合って
もう一生ケータイ持たん!と主張してた。
親の怒り方としては ケータイ必要なのが分からんのか的な。
半泣きやったな。謝罪求めてんだこっちは。




僕の見解やけど 出来た人間ってのは
基本的に否定しないんですわ。
否定から入らない。
否定するにしても言い方を選ぶ。
否定したとしても何かしらのフォローがある。
悪くない例外も上げる。
 僕が今行ってるドラマの授業の先生の指導がそんな感じ。

「まぁこの場合はそれでいいかもしれんけど 今すべきは〜」って感じ。
言われる側としても自分の考えに否定しかされなかったら
わだかまりが残って 正しい例や理屈を考え出す。
正しい例もちゃんと挙げられるから納得して先生に習って次に進める。


説得する力、人を変える側の人間みたいな。
すぐ感情的になったり否定しか出来ない奴は到底無理やな。


にしても子供の頃の僕の周りの大人で
納得させてくれる人間は居なかったな。
大概叱るか否定するかだから。

変われなかったのは結局自分なんだから
先導者として優れてなかったその大人たちに別に文句は無い。
ただ賞賛や感謝も無いけど。




否定するような気持ちも非難するような言い方も
昔より大分減ったな、と。自分も。
「○○するぐらいなら××の方がマシ」とか
「○○は悪いものでしかない」
みたいなことをほとんど思わなくなった。


認めるべくは認め、合わせるべくは合わせる。
そんな風にしたら非難されても考え方が揺らぐことは無くなった。
自分の正しさ、判断基準に自信が付いた。
まぁかといって絶対変えない!じゃなく
ある程度の譲歩や相手に合わせる試みはする。



2ちゃんで読んだ 妻視点での夫のことでの相談。
夫は「人間は皆自分の役割は果たし、譲り合うべき」
って考えを持ってて、
例えば道歩いてて向かいから人が来たらお互い半分ずつ譲るべき、と。
相手が全然避けようとしなかったら自分もギリギリまでしか譲らず
ぶつかることも厭わないらしい。

僕と考え方が似てるな、と思った。
違うのは、僕は60か70ぐらいまで譲歩するよう心がけるけど
この旦那さんはきっちり50しか譲らない、みたいな。

相手が10しか譲らないような輩ならもう尊重する気も起きんけど。
自分の方だって20か30しか出せないこともあるからな。
歩道で向かいから人が走ってきたら歩みを止めて端に避けるわ。
自分だって遅刻して歩道走ることもあるかもしれんのだし。



まぁ最近 自分と相手の落ち度の比率が
10:90で 相手の方が圧倒的に多く見えるのにも関わらず
責めてきたりしたら。
まぁ自分の10をどうにかすることでそのいざこざをそもそも
起こさないように出来る可能性があるなら
その10をどうにかする、出来るだけ譲ろうかな、と思った。
 慰謝料請求されたり、って場合は別やけど。

そんな風にしてたら今度はその10に
付け込んで来るような輩が絶対出てくるから。
(こいつは何でも自分の非として認める奴だと調子に乗る)
そう感じたら譲歩は止める。切り離す。



まぁ僕が言いたいのは、

自分の得意分野を糧に、理屈を武器にして
馬鹿にしてくる奴はいっぱい居ると思う。

けどそんなしょうもない奴の言い分の為に
偏った考え持って 成長や改善の障害にしてしまうのは勿体無い。

考え方や正しさは柔軟というか 臨機応変にできるように、と。


「変えられる側」の人間がまともになれるのは
優れた「変える側」の人間が居てこそだから。

居ないようなら仕方ない。
自分で答え見つけていくしかない。

「そんなに言うなら○○しかしないぞ、いいんやな?」と
相手の言い分が間違ってた結果になる機会を待つんじゃなく
揚げ足や皮肉で優れてない先導者に
その場の口論で打ち勝つのではなく。

無能先導者の人格はもういい、正しいかどうか考察するだけ無駄。
言い分の中から根本的な正しい要素を汲み取って
自分の為に必要かどうかを判断すること。

って感じ。


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