風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

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zoom RSS 友達について’14

<<   作成日時 : 2015/02/05 21:32   >>

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友達をテーマに自分の考え方書くのって
なんか半年置きのペースになってるけど。

友達の数が人並み以下なのに
人一倍友達の概念を考えるのって
恋人出来たこと無い奴が恋愛語ってるみたいで
ある意味滑稽に見えるかもな。

友達少ない(ってか現状周りに居ない)ことに
悲観的でもないし嘆く気も無い。
改善する努力をしない奴はその資格が無いと思う。
だから悲観や嘆きはしない。

僕よくネットで「友達いねーぜ!」って言ってるけど
ネタで言ってるのと、開き直りの他に
友達が多い方がいいっていう風潮そのものへの皮肉を込めてる。

友達が多い方がいい、って風潮そのものは認めてるし
その理由は人それぞれで語り方は違うだろうが
大概理に叶ってると思う。

ただ風潮がある以上 人はそれを元に
慢心したり、見下したりって部分が出てくる。
まぁそれも人間の駄目な部分として理解はしてる。

その風潮に僕は散々苦しめられてきたんで
風潮を否定したり失くそうとする気は無いけど
ただ皮肉はし続ける。

正直むかつくんだわこの風潮。胸糞悪い。
いや怒りの矛先を向けるべくは慢心しだした
他人達の心の疎さか、
いやその風潮に沿って充分に力をつけなかった故
自身にそんな連中に付け込める隙を作ってしまった
自分の怠慢か。
出来た人間を目指すなら後者を見るべきなんだろう。


僕に編屈した価値観を持たせた要因は主に上げると
・友達作る努力をしないことで罵倒してきた母と祖母
・同じく卑下してきた、あとメディアの言い分真に受けて
 ネット友達って概念もこき下ろしてきた父
・友達(舎弟?)を常に連れ歩いて慢心してた生徒(小学)
・友情関連の言葉を好んで使う割にはそれに関して
 自分なりの価値観は持ち合わせてはおらず
 テンプレートを真に受けた程度で
 他人を友達とする条件も軽いから
 自分は友達が多いと思い込んでて
 その上 慢心、卑下もしてきた元ネッ友(高校)

後半2人は同期だから 当時子供だから
ギリしょうがないにしても
前半2人は先導者の立場であるべきはずの親。
僕が両親の人格を嫌う要因の一つはこれ。

周りが 友達とはこう捉えるべきと教えてきたものを要約すると
・友達という存在は崇高、持つべくであり持つこと自体がステータス
・持たないことは恥、負け。
・なのでネット上だけでの関係の相手を指して「友達」と呼ぶ
 (自分は「友達」を持っていると言う)ことは慢心。

ってこと。でまぁなんとなく認めてる。
「友達」「教師」の概念はなんか崇高、というか
こうあるべき、みたいな 重要視すべき概念って言う感じだった。
学生時代はそれらに大きく関わるからだろうが。

ネットの友達の話をボロッと出すとなんか父は
見下し、嘲笑、みたいな感じで言ってくる
「そんなもん」「お前駄目だわ」みたいなニュアンスで
何年も後になっても。
僕の方も ネッ友とか実際文通のみの関係だから
胸張って反論できない。

負け惜しみを言うと友達、ネッ友ってのはあくまで
関係の呼び方だからそれ自体は個人じゃないわけで。
「家族」のような一見立派な関係性でも実際どうかは人によりけり。
僕にとってはネット上の方がこの親より大事な人間が多い。



他人を友達として判断する基準が多分一般より高い。
友達として認めない、みたいな 見る側の基準より
友達とか言っていいのか、っていう 見られる側の感じが強い。

 基本 恋愛漫画嫌いだけど好きな番組(深イイ話)で紹介されてたから
 なんとなくいいイメージ持ってる「君に届け」の映画のワンシーンで。
 地味で暗めなヒロインと 派手なギャルが仲良くなり始めて
 ヒロインが「あの子(ギャル)友達?」って聞かれて、
 ヒロインははっきりと答えられず、それを見てたギャルは
 「私のこと友達って思ってくれてないの?!」みたいな
 なんか2人の間に距離が出来始めたシーンがなんか
 うわぁ〜・・・って。リアルやなって。
 なんか自分の友達と言うのが申し訳ない、みたいな感じ。
 相手が悪いんじゃなく自信が無いから友達と言えない、みたいな。
 これですわ。




で、次。友達の裏切り みたいな悲観を基に
考えて出た いくつかの結論。
・友達って概念を崇高に捉えすぎ。
・他人に自己犠牲を求めるのがそもそも間違い




一般的には創作物や道徳の授業のような
誰かが伝えようと記したものにどう影響受けるか、だけじゃなく
本人が色んな人間と関わって紆余曲折あって
自身の捉え方を構築していくものなのかもしれんけど
僕にはそういうの極端に少なかったんで
また物語の例をいくつか挙げる。

友達って概念、関係はどうあるべきかって
価値観の基盤の元は大概は漫画。
友情をテーマにした話とかな。

「友達」という概念に綺麗なイメージを構築させた
少年漫画のそれを 皮肉りだす青年漫画。
カイジ和也編とかライアーゲームとか。

 僕は個人的に うえきの法則→カイジ の表現?で
 強く影響受けたというか。友情の概念。
 うえきでの「友達を助けようとする意思」と
 カイジでの「役に立たなくてもいい」と


モンハンのプレイ記で読んだ話。
自分に良くしてくれる人が居て、
ここまでしてもらうと申し訳ないと言うとその人は
「何言ってんだよ!俺達友達じゃんか!」と。
筆者は感動して
「ありがとうございます!嬉しいです!」と返すと
「その大人ぶった喋り方むかつくんだよな」と
気を害してしまって
えっ・・・ごめん・・・ みたいな感じになったと。

もう7年ぐらい前の僕の元ネット友達が
こんな感じで友達、友情といった言葉を
好んで使ってて。まぁ喧嘩別れしたけど。

なんというか、感動したいんだろうな、
って思った。
漫画やドラマのようなシチュエーションを
自分の人生にも起こしたい、置き換えたいって。

分かる。そう考えると。
僕自身も人生で大事なことは
生きてて楽しいと思い込むことだと思ってるし
そのためには愛だの夢だの綺麗言も言う所存。
ただ、こういういざこざになった際は
一旦冷静になって(ドラマチックな度数を下げて)
見直さなきゃ、と思うようになった。




「友達は所詮裏切る」と
何年か前ネットで遊んでた相手が
突拍子も無く言い出して。
(一応 会話で友達って言葉が出たって程度)

年齢を聞いたら14と。
あぁ・・・って思った。


本当にそうだと思ってるんなら
いちいち言う必要無いと思うけどな。
本当はそうあるべきじゃない、っていう気持ちが
本心のどっかにあるんだろう、って思ってる。
「サンタは居ない」とか
「結婚するつもりは無い」みたいなもん。

本当にサンタが居ないと知って、
その上でそれが居ると語られる事情とか
その辺全部承知してるんなら
「サンタは居るはず」と言う子供に
わざわざ「居ない」とムキになる必要は無い。
「そうだね、居るといいね」とか言える奴が本物。
そう思いたい人は思えばいいじゃない、と。

まぁ、向こうが憶測であるにも拘らず
その答えが真意であるかのように豪語したり
本来の真意の方を卑下されだしたら
ムキになって答えたくもなるかも。
「サンタ居ないって思ってるって本当?
 バカじゃない?」
「いねぇよ。バカはお前だ」って感じで。


だからまぁ、カイジでの和也やら
ライアーゲームの悪役やらが言うようなセリフ
実際にそんなこと言ってみたりする反抗期の子。
いちいち友達や善意に対して否定、皮肉を言ってるのは
本当はそうあるべきじゃないはずって気持ちが元、か
もしくは真意でない(はずの)価値観を豪語する人間が
身近に居たから遺憾して、か。
のどっちかやな。

トモダチゲームって漫画。
拉致されてマネーゲームに参加させられるタイプの話。
金、嘘、の他に 友達をテーマにしてて
これも一般に根付く友達への捉え方への皮肉みたいな感じ。

仲良し5人組が参加させられて、
その原因はそのうち一人が巨額の借金返済の為に
協力者として他の4人を選んだ、と。

金の大事さが身に染みてる主人公は
「せめてそれが誰なのか知りたい」と言うも
意地悪な主催者は
「知ってどうするつもり?友達よりお金が大事?」と。
で、他の4人は
「友達と見込んでこのメンバーを頼ったんだろう。
 だから助けてやろう」
(友達だったら借金の理由も目を瞑るべきなのか・・・!?)と。

友達だと思う奴意図して困らす奴とか
人としてクソやけどな僕的には。
些細なことならまだしも借金とか致命傷負わせかねないリスクを
本人達の意思に関係なく背負わせるとか。
 原因の奴が他4人を友達だと思ってるかどうかは
 話が進むにつれ明らかにされる。


他者がどう以前にそれぞれ個人の
人間としての器量の程がどうあるかだから。

何度か書いてるけど高校の時に
自分が助かるために僕を不良に売った友達H。
当時むかついたけど 今の考え方だったら別に許せる。

子供の頃はそんなことがあった相手とは
「もう一切お前とは関わりを経つ!」って感じだったけど。
別に普通に接触する相手としてならそのぐらい許容できる。
許しと友達関係の継続を求められてたんで
まぁ別にいいかそのぐらい、って思う。

ただやることやったんだから何も無いわけではない。
別に罰下したり落とし前つけさせるわけじゃないけど。
僕にとってそいつの評価は下がったし
僕にとってそいつは別に結構どうでもいい奴になった。

それで構わないってなら こっちを友達だと思ってればいいし
もっと信頼されたいってなら 本人が努力すりゃいいだけ。


その件への対処法も僕がそもそも
その不良に認知されてたから、舐められてたからで。
自分の不都合の原因は 自身の怠慢にあるな、と。



「あたしンち」で仲良し中学生3人が
協力できるタイプの新作ゲームを買いに行くも
一人だけ買えず、買えたのは一週間後で。
「すぐ追いついてやるからな」と言うも
実は他2人は一緒に始めるために
まだ開封してなかった、って話。
これも一つの友情やな こんな生活送りたかった。

で、そこに 年頃の子(笑)が言うような
「友達は所詮裏切る」って言葉。


カイジの和也編みたいにヤクザを介入させたり
拷問にかけてみたりして 仲間を売ったら
「ほら所詮は裏切る生き物なんだよ」とか。

友情や友達に限らず 何者も どんな関係のものも
出来は0か100じゃないし 許容量がある。
どんだけ強く出来た紐も強く引っ張れば千切れる。

拷問の訓練を受けて育ったわけでもない人間に
痛みや苦しみにまで耐え忍ぶことを強いる方が酷。
戦争が起こってるわけでもないし
過酷な使命を強いられたわけじゃない
普通の生活、人生に伴う相応分の器量満たしてればいい。

絶対千切れない紐とか求めても仕方ない
それなりの強さに耐えられればいい。
第一自分だってそこまでの器量持ち合わせてないし。
仲間を庇ったまま死ぬ、弁慶みたいな例は極稀。

まぁでも、Hには 正直自分に降りかかった不良ぐらい
自分で対処して欲しかったって気持ちもある。
出来ないのなら求めてもしょうがないけど。



で、友達に求めるもの。
前にも書いたけど 心だけでいい。
行動や救いまでは求めるべきじゃない
(ちょっとしたことなら求めるかもやけど)

 こないだ漫画の妖怪ウォッチでもなんか
 うえきの法則で見たのと同じようなシーンがあったけど。
 仲のいい友達が不良に殴られてて
 怖くて助けられなくて絶交された、みたいな。

関わると致命傷になりかねないようないざこざは
降りかかった本人がどうにかすべきだし
そもそも他人に自己犠牲を求めること自体が間違い。

なので特に金や命が絡むような大事に関して。
僕は友達に助け求めたりはしないようにする。
(もししたら駄目な人間に成り下がったってことで)

逆に友達が困っても助けない。
ただ応援はする。不幸は気の毒に思う。

まぁなんかそんな感じ。

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