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zoom RSS 宣言の責任と 的外れな駆け引きの愚かさ

<<   作成日時 : 2015/11/28 23:12   >>

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今回の話は
公平さを重視した客観的な見方じゃなく
僕の主観を重視した 好き嫌いでの嗜好、意見。
そうなると大概は愚痴になるけど。

僕って元々臆病、って前に書いたけど。
小学生の頃から自分は
自分で宣言したことを自分で覆すことは恥、
という認識を強く持ってた。

あと、因果の根元を出来るだけ絶ちたい、って思った。

自分がそれを正しいって思っても
周りがそういう認識だとは限らない。
その差に憤った。

前者の話。
自分がしないと言った以上は それをしない。
結局してしまった事も多いけど
それは恥だと認識し、
宣言と矛盾が生じたことを認め、
場合によっては謝罪もする。

けどそうでない奴が周りには多かった。
しないとか言いつつ平気でするし
恥じるどころか傲慢になる。
言動に一貫性が無い。

 前に書いた ヒット&アウェイなやり口でしか
 攻撃できないくせに偉そうに挑発してきた女子もこの例。
 「それ(挑発)を言う資格」が無いだろう、と。
 挑発をしていいのは、戦える人間だけの特権、
 だと認識していたから。
 逃げることを前提としてる人間は
 「かかって来い」等を言う資格が無いと。

まぁ、僕に「こいつ触りたくない」とか 言ってくる奴が
僕の肩を叩いたり 僕の所有物を触って逃げる、
みたいな手段をしてくるのが 本当に気持ち悪いし頭に来る。
自分で矛盾したことをやって 恥とすらも認識しない。



ここ最近になって それが普通という
「周り人間の認識」をようやく意識しだして
あぁ、もういいか。って思い始めた。
きっとこれが平常なんだろう。

人間は自身の発言や言動が 自身の本来重視してる考え方
(道徳を重視か 因果を重視か という)と
矛盾してても
自分に不都合が発生しないなら気にも止めないし
恥もしないし責任も取らない。
そういうもん。

自分は違うとは考えない。
自分だって多分そういう面がある。

それに「主張」を責任深いものだとして見てるからって
その人がそれほど出来た人間なのかと言うと
別にそうでもない。
「殺すぞ」と言うか「死ねばいい」と言うかの違い。

「殺すぞ」は 自分がそれを実行する、
 結果を出すことが可能であるという
 前提が込められている、その必要があるけど
「死ねばいい」はただの願望。
 上記の様なものは必要ない。
 別の責任問題にはなり得るが。

僕は「殺すぞ」「絶対」といった言葉は使用を避けてた。
殺害なんてそもそも実行できない、
絶対はあり得ないし 決めるのはおこがましい、
悪口として 豚 とか言うのは
自分が豚の恩恵を受けているのだから
本気で嫌う相手をそう比喩するのはおかしい、と。

力量も 責任を取れない点も 僕と大差ないのに
周りは平気でこれを行うから
ふざけんなよお前ら、とまぁそんな憤りを持ってた。



まぁ、漫画で言うなら
ドラえもんでの のび太のセリフ
「嘘だったら鼻からスパゲッティー食べてやる」とか。

ついでにもう一つ挙げるなら 暁!!男塾で
悪役が 満身創痍の男を見下して
「もし自分に指の一本でも触れることができたら
 自らの腕を切り落としてやろう」とか。

主張した以上は実行する場面に居合わせた時、
臨む姿勢でいなければいけない。
その前提、覚悟を受け持った上で初めて
胸を張ってこう主張できる。

僕は出来ない。だから言わない。
出来ない、という事柄に関しては僕も他人も
条件は同じであるに関わらず
他人は平気で主張してきたし、
いざその条件が当てはまった場合、
その他人がやってきたのは
開き直り、逆ギレ、無かったことにする、
大声でうやむやにする、とか。

のび太は馬鹿にされて追い詰められた挙句の
悔し紛れの反論だけど、
僕の周りに居た奴は 先手を取るために言ってくる。
「出来ると思ったが 
 いざ やろうとしたら無理だった」じゃなく
「最初からする気はさらさら無い上での主張」


まぁ、僕も他人を信頼しすぎた、
という落ち度があった。
相手を勝手に「責任を取れる人間」にした。

味方ならまだしも、敵に対してその期待を抱くことが
まず的外れだった。
「相手を責めるのではなく、
 相手に期待しすぎた自分を恥じる」
という考え方を早く見つけるんだった。

因果の観点で反省すれば
相手にとって「傲慢な主張」は一線を越えた行いではなかった。
言ったもん勝ちって程度であるという
相手の認識への 理解の至らなさ。

あと「宣言しつつ実行しないこと」が許せないなら
こちらが実行”させる”ぐらいの
気持ちを持つべきだった。

まぁ…これって主に中学の頃の話だから
やってきた相手は同期、もとい子供だったから。
大目に見ないといけない。
 今の同期(大人)がこれをやってきたら話は別だけど。




要約すると、僕は「主張」を重要視しているが
周りは「主張」を軽く見ている、という
その認識、感覚のズレが 僕を生き辛くさせた、って話。


まぁ、僕側が少数派(マイナー)な立ち位置であった以上
社会、調和の観点で見れば 悪いのは僕。
多数派の価値観や やり方に合わせられなかったのだから。

なぜ僕がそういう感覚で過ごしてきたのかを
要因らしきものを二つ挙げる。

・自分の答えを持っていなかったから
・何かを引き合いに悪く言うことで 何かを主張する、という
 やり方が 主だったから。


まず前者の「自分の答え」。
前に書いたけど 僕には幼少時から成人までにかけて
親や教師の言い分が絶対、決定稿のような刷り込みがあった。

その決め事や言い分、相手の主張に
都合の悪さや憤りは感じつつも、
理に叶ってはいるから、
自分が一定の知識、判断力を有してないから
付け入る余地が無い。

その主張をした当人が、自らその主張と
矛盾した行いをしたときに、
その矛盾を突く、というやり方でしか
異議、反論が出来なかった。

その結果、「揚げ足取り」のような癖が出来る。
自分なりの基準、判断力、答えを持ち合わせてない
駄目人間が出来あがる。




で、後者の「引き合いに出す」だけど
何かの良さ、正当性を主張するために
真逆の何かを悪いものである、というやり方。
「Aこそが至高、それに引き換えBは駄目だ」といった感じ。

何故だか分からないけど
僕にも周りにも一部 そういう癖があった。
こう宣言した以上 自分はBを活用したり頼る資格が無い。
そもそもこんな
「何かを悪い例として挙げて
 自分と比較して正しさを主張する」
という やり方自体が悪習じゃないかと気が付いた。

で、そのBが必要になった時、どうするかっていう。
1:宣言した以上は絶対にBの力を求めない。
2:自分の宣言を撤回し、謝罪し、許しを請う。
3:うやむやにする、無かったことにする、
  言ってなかったように振舞う。

僕の周りは基本3だった。
僕は1を選びつつ 結局折れて2になったりした。


先ほどの「鼻からスパゲッティーの例」は
ある課題において絶対的自信を誇示するために
意図して 違った場合 自分を追い込むという宣言だけど

この例は
「口など無くても食事を取れる」といったような
(相手の力、あるいは何かに対して)
不要である、という宣言。

 小学生の頃に読んだことがある話だけど
 昔、男二人の談笑で
 自分の顔の部位で重要なのは何か、って話になった。
 で、聞かれた方が
 「まずは目が無いと何も出来ないから目だ。
  次は口だ。物を言うにも食うにも口が要る。
  一番いらねえのは耳だな。無くても困らねえ」と
 これを聞いた この男の耳は怒って
 じゃあもう知るものかと、聞こえなくしてしまう。
 そんで尋ねてきた嫁入りの娘を 押し売りと勘違いして
 怒鳴り返してしまったり まぁ困って
 自分が悪かった、と耳に許しを請うたら
 耳は男を許し、元通り聞こえるようになったと。



ちょっとまた違う話を挙げるけど

カップルの 女性視点の書き込み。
彼氏と買い物して、荷物をまとめた後でカートを戻す際
彼氏が「アイス溶けちゃうから先に車に戻って食べてて」
と言ったので、先に戻って食べてたら 戻ってきた彼氏が
「本当に食べるとか!俺が来るまで待っといてほしかった!」
と怒ってきたと。


ある夫婦の 旦那側の書き込み。
家から帰ったら嫁が
「ドーナツ余ってるから食べていいよ」と。
箱の中に2つほど余ってて、ありがたく頂戴したら
翌日嫁が
「本当に食べるとか! 社交辞令も分からないの?!
 私と子供のおやつにでもとっとくべき!」
みたいな感じで怒ってきたと。


ドーナツをあげると言い、相手が気持ちだけ受け取り
こちらの為に残しておく、のが
社交辞令だって言うんなら
相手が本当に食べた場合、憤りを抱いても
つべこべ言わない、ってのも社交辞令だって思うけどな。

正直 根本的なこの主張自体が意味分からんけど。
主観で感想を述べるなら
「自分が勧めて 相手が従ったことに対し
 文句をつけるのはおかしい」

あとは、恐らくだけど 双方の解釈が違う。
1「食べられて嫌だった」(主観的な不都合)
2「食べるのは人として駄目な選択」(客観的に見た落ち度)

主張者、被張者(造語)双方が この問題を
1として捉えているケースか
主張者が 2の意味合いを織り込ませている、ってケース。

アイスの件は前者に見える、
ドーナツの件は後者に見える。


アイスの件はあれだ。
ちょっと他にも似た話があるんだけど
カップル二人で食事して、レジは男が払うんだけど
店を出てから男が女に請求してくる、とか。
「ノーリスクで見栄を張りたい」か

「優しい人間は 自分に都合のいい条件を出されても
 それを拒否し、対等を望む それが正解である」
という前提を確定してる上で、彼女に幻滅した、か。

3つ目以降は特に思いついてない。


そもそも、何が正しいかなんて人によって解釈が違う。
「優遇された条件を拒否し あくまで相手と対等である」は
「相手の親切を無下にする行い」とも捉えられる。

解釈や価値観自体は人によって違うのは仕方が無い。
その上で遠まわしな 駆け引きを仕組むとか…
いや、上記の前提を理解してないからそんなことをするのか。


これが正解と確信した上で 相手に逆のものを勧め、
相手がそれをそのまま受け取れば 文句を言うって。
相手にとっては受け取ることが正解だと思ってるわけで。

僕の基準だけど

相手に渡して、相手が受け取れば
「うわ、本当に受け取るんだ…」って思うまでは
まぁ、自由ではある。
どんな判断基準を持つのかは個々の自由。

それを口に出したり 不都合として唱えれば
問題になってくる。






だいぶ前に話を戻すけど。(●の部分)

「まぁ…これって主に中学の頃の話だから
 やってきた相手は同期、もとい子供だったから。
 大目に見ないといけない。」

の所。
こっからは愚痴。


まぁ、問題なのは いい歳こいた大人(先人)達も
この手法を駆使してきたことで。

まず僕の落ち度として認めていることは
自身が社会に組み込まれているという自覚を持っていなかった。
勉学、成績の維持に義務感を持っていなかった。
周りに興味を持つべきところを持たなかった。
という前提の上で。


まぁ この話って既に過去に何度か書いた気がするんで
具体例は挙げず要約するけど

大人が
「この件(上記の僕の落ち度)に関して手助けしてやろうか」
という カード(利点)を提示してくる。
相手にとって喉から手が出るほど欲しいであろうという前提が
大人の方では既に確定している。

僕は興味が無くて「はぁ…」って感じ。
むしろ大人の偉そうな態度に腹立たしい気持ちもある。

相手(僕)が乗ってこないことに腹を立て
「本当にこれがいらんのか?いいんやな?」と執拗に聞いたり
「じゃあもういい お前なんか知らん 勝手にしろ」と
去っていったり、
あるいは特にコンタクトしてくることなく
この件については打ち切ったのかと思える
自然消滅のような傾向。

で、最終的に大人の方が折れて。
駆け引きを仕掛けて 折れた立場であることを
恥も詫び入れもせずに激昂しつつ
まぁ先程のアイスの彼氏みたいに
「そっちから詫びにくるべき!」みたいな主張をしてくる。

うやむやにしつつ関係、件の再構築を
試みようとしてくる大人はまだいい方で。



なんというか
「”お前とは縁を切る”詐欺」というか。

僕は基本的に「絶縁宣言」はしないし
仮に使うとしても本当に縁を切ってもいいと
思った相手にしか使わないけど。
「絶縁宣言」を駆け引きの手法として用いる輩が
大人、子供問わず 僕の周りには本っ当に 多くて多くて…。

一応そのうち何割かは
僕が悪い、折れるべきだと思って詫びに行った例もあるんだけど。

まぁ、謝罪を求めるなら追及しろ、ってこと。
その上で縁を切れ。
最初から相手を謝罪によこすための算段として
絶縁宣言をするな。ってこと。

てか その的外れな憤りを言われたときに
僕も おかしいだろ、と言及するべきだった。
この観念に気付いたのもここ数年 最近のことだったし。


まぁ なんだろうな。
「見捨てられていない分、まだ救いがある」
という 好意的な解釈も出来るけど。

こういうやり方は本当に嫌い。
たいして頭良くも無いくせに駆け引きを仕掛けてくるな。

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内 容 ニックネーム/日時
京都ではよそさんの家にお邪魔してて、「お茶漬けでもどうどす」とか言われたら、それは「とっととカエレ」のサインだという話があります。あからさまに表現するのははしたないから、婉曲表現で人を傷つけないようにしているのです。京都などは言葉の裏と表があり、聞き手が誤解することが多いものです。

コミュニケーションの問題は、話しての伝えたいことが聞き手に伝わるかということで、話しては聞き手に合わせて言い回しを変えることが必要。

言葉は文化的な背景もあるので、聞き手の文化が「表と裏」のある文化であれば
言葉の一貫性とか論理を強調しても通じないであろう。
あじさい
2015/11/29 08:01
あとあれ ネットで読んだ話なんですが 面接で「私服で来てください」と書いておいて、本当に私服で来た就活生をおかしい、と判断するみたいな話。マイナス評価にするまではその会社の価値観だから仕方がない。ただそれに異を唱えるのはおかしい。

京都のぶぶ漬けの話はドーナツの件でも挙げられてました。「馬鹿げている」と批判されてたけど。
ぶぶ漬けはまだ仕方がないと思います。
客の方が尋ね先の迷惑にならないよう「そろそろお暇します」と帰る頃合を見計らうべきだし。家主側の苦肉の策とも言えなくもない。

例えるなら、僕が理解できない(する気もないレベルで嫌いな)のは「今からうちにぶぶ漬けでも食べに来ないか」と誘っておいて、食べに来た相手に「常人ならおみやげだけ買ってきて、ぶぶ漬けは食べずに帰るべきだ」みたいな
そういうレベルでの偏った価値観と駆け引きです。
おっさん
2015/11/29 20:57
ただそれに異を唱えるのはおかしい。ってのは
面接側、会社側がおかしいって事です。
「自分の方が私服で来るように言ったのだから、
 従った就活生に対してその疑問を投げかけたり
 否定するのはおかしい」
おっさん
2015/11/30 01:21
言っていることと行動していることが違う人が多い。
その人の本姓は、どちらかというと行動に現れる。
真実を探す場合、その人の言葉より行動を見たほうが良い。

言葉は人を裏切ることがあるが、大半は自信をだます。
こちにしている本人がだまされているのである。
だから、他人に指摘されても気がつくはずがない。

文法とか言語の用法を正しくすれば人間関係がよくなるわけでない。
むしろ悪化することもある。
あじさい
2015/12/01 22:26

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