風呂上がりのおっさんの脱衣場ブログ。

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zoom RSS から揚げレモンから見る相互理解への条件など

<<   作成日時 : 2016/03/25 00:14   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 3

僕がたまに用いる用語
「相対的な見方」「客観的な見方」についての簡単な解説。

例えば相対する主張AとBがあったとして、
自身がAを主張する場合。

相対的な見方が
Bを引き合いにしてのAのメリットや長所、
Aを引き合いにしてのBのデメリットや短所等を主張して
Aを肯定、あるいは論争に打ち勝とうとすること。

客観的な見方が
A,B双方の長所、短所、相手の言い分を統合した上で
Aを主張するか妥協点Cを見つけること。


僕が目指してる正解は基本的に 相互理解。
論争の沈静化、妥協点を見つけて解決する方法の模索。
争いを失くすことをまず前提としているので
その前提が違う人にとっては
まず僕の記述、価値観は基本的に通用しないので
論点をその前提部分(争いの是非について)から
話す必要が出てくるけど。
 ※争いを是とする価値観の一例・・・
  競争が成長を生む、
  コミュニケーションの一種として容認すべき、
  ケンカと和解の手順を踏むことで真の友情が生まれる、等


ひとまず相互理解を目的として、という建前で読んでもらいたい。
 あと基 本話の引用元は貼らないようにしてるけど
 やはり読んでもらった方が手っ取り早く伝わるから
 いくつかソースを貼る。



「から揚げにレモンをかけるかどうか」という論争を
ネットで見たんだけど。
http://mujin.ldblog.jp/archives/41133643.html

「目玉焼きにかけるのは醤油かソースか」って話なら
人それぞれでいい、で済む話なんだけど。

から揚げレモンの場合は大勢での飲み会や食事会などで
添えられたレモンを満遍なくかける人間のせいで
「かけずに食べたい派」の好む から揚げが無くなってしまう。
みたいな。



僕個人は別にかけててもかけてなくても
どっちでもいい派。
あったら(せっかくだから)かけるし、
無かったらかけない。

あるいは 揚げ物は塩やツユで食べて
添えられたレモンは残すと勿体無いので汁を吸う。


1月に地元に帰って祖母に
回転寿司につれてってもらったんやけど
最初に祖母が海老のから揚げ3つ注文して
添えられてるレモンをしぼり かけた上で
祖母、僕、祖父にそれぞれ配った。

僕としては おごってもらってる立場だし
特に嫌いでもないし 文句を言う理由が無いので
出されたから食べた、って感じ。


レモンの成否
相対的な見方であれば
味、嗜好、栄養素云々などの話を出すことになるけど。

そもそも「から揚げに、レモンをかけるか」と明確だと
かける派、かけない派、どっちでもいい派の
いずれにか属することになるわけで。
これでは成否を判断する条件にならないので
客観的視点に基づいて
根本的な条件の部分のみを引き出すと。

・価値観(好み)が分かれる
・それを行うと それの重要点(味)が完全に変わる
・それを行うと 以前には戻せない。
+肯定派が多数を占める(らしい)


あとはまぁ 肯定派、行使する側が有利であり
否定派は自分の権利を守ること、
不都合を避けることに準ずるしか手はない、ように見える。


肯定派が 価値観の違いとその存在を認知しているか、
他者への尊厳についての重要視の度合い。
僕の思いつく一例を挙げてみる。

1:価値観の違い、存在を認知してなかった。
 「誰しもがかけて当然という認識」

2:価値観の違いを認知しているが 理解をする気が無い。
 「なんでかけずに食べたがるのかが不思議、
  かけて食べるべき」

3:価値観の違いを認知、理解している。
  だが、少数であるはず故
  かけたくない派が宣言しなければならない。
 「かけて欲しくなければ最初に言え。
  言ってもらわないと分からない」

4:価値観の違いを認知、理解している。
  できるだけ多くのニーズを尊重する。
 「かけたい人だけかければいい
  かけたくない人はかけなければいい」


かける派が かけない派の価値観を理解してないように
かけない派も かける派の価値観を理解してない場合も
あるかもしれない。
上記の一例を「からあげにレモンをかけるか」から
「カップ麺にお湯をかけるか」に変えてみると
分かるかもしれん。

例えば1なら カップ麺を作って配る際に
「お湯を掛けずに食べたかったのに!」と
言う者は居るとは夢にも思わない というレベル

でも仕切る人が4で、他が1〜3の場合
「かけてくれてもいいのに」と
他者の自由意志を尊重するあまりに
不親切な人間と言う各印を押される可能性がある。
 ここまで来ると面倒くさいけど。


嗜好の相違のある相手側への解釈、度合いを分けると
1:自分が正常、相手は異常
2:自分の方が多い、一般的な感性
3:相手の方が多数派、自分はマイナー
4:相手が普通で自分は稀な例

 4は萎縮の場合もあれば 傲慢になる例もあるかも。
 「変わってる自分すごい」「注目を浴びる快感」みたいな
 なら1も「普通は自分と同じやり方のはず」みたいな
 傲慢の場合に限らず 「自分は平凡」のように
 ネガティブな解釈をする場合もあるかも。

1〜4のいずれかを前提として
A「人それぞれでいい」か
B「相手に合わさせる」か
C「自分が合わせる」か。

2,3が前提でAが理想だと思うけど。

レモン肯定派が 相手に
「レモンかけていい?」と聞いただけで
キレられた、という話があった。

レモン否定派で
「かける方がおかしい。
 見てるだけで吐き気がする。」って意見があった。

否定派が1か2でBだったか、
あるいは何らかの背景事情があって
自身の権利に強く意識、あるいはそのあまり
かける派、レモンに対して過剰な拒絶意識を持ったか。




から揚げレモン以外に重要視の有無、ニーズの違いで
類似例を上げるなら
焼き鳥の肉を串から外して皿にわける、とか
枝豆の豆を出して皿に分ける、とか。
この辺は やる人は自分の嗜好を率先する、というより
親切心(のつもり)だけど。
 焼き鳥は串に刺して 物理的に戻すことは
 出来るけど流石にその選択は視野に無い。

あと2ちゃんの話だけど
仕事仲間の女性二人が食事に行って
投稿者が月見そば注文したら届いた矢先に
相手に勝手に卵を混ぜられて
やめて欲しいと言っても理解を得られなかったって話。
http://oniyomech.livedoor.biz/archives/46587034.html
 食べ物じゃないけど似たようなことやられたことあるわ・・・


まぁ 重要視していない人の視点で、
それを重要視している人が、
その場に確かに居ると認知したにも関わらず
相手の感性を共感、賛同するかはともかくとして
理解に務めない(したフリをすることすらも拒否)ってのは
「相手のニーズに合わせようとしない一種の悪」という解釈。



冒頭の引用元にあった書き込みを持ってくるが。

 社の飲み会でから揚げにレモンかけたら
 本気で怒ったやつがいたわ
 俺が「絶対こっちのがうまいって!」って言っても
 一口も食べもしない上に
 「自分用にもう一皿頼む!」とか言い出して、
 空気を悪くしまくるやつだった
 で、そいつの新しいから揚げが来たから、
 一瞬の隙をついて
 「はーいwレモン入りまーすw」
 って言いながらフルパワーで
 レモン絞ってやったらグーで殴られた
 グーだぞ。グー。飲み会で。から揚げ如きで。


まぁ気持ちは分かる。(殴った方の)

さて、隠れた前提をまず取り上げると。
「レモンをかけること」は冗談として通用するはず、
一線は越えてないという解釈であるのに対し
「殴られた」ことは冗談では済まない、
一線を越えている、という
自分にとって都合のいい解釈。

(かけない派であると
 充分に宣言している相手のから揚げに)
レモンをかけるのが冗談なら
なんで「殴られる」ことも冗談に含めないのか。
「パンチ如き」と。

まぁ、暴力は一線を越えている というのは
本来 共通の認識であるから そこの問答は不毛か。
本人この場には居ないし問い詰めようがない。
 まぁ人に不都合を起こされるのが嫌なら
 自分が人に対して不都合を起こさないようにすることやな。


「やる側」か「やられる側」か。
まぁ僕って大概後者に属するんだけど。

前述の殴った人は から揚げよりも
自分の権利が尊重されていないことに
対して怒ったんだと思うけど。

僕の場合 基本的に飲み会のような
共通の物を 大勢で分配する場面では
自分の権利に関してはある程度諦めてる。



あとはまぁ やられる側が許容できる
不都合や戒めの度合い。
「→」は その対象に
自分の不都合の条件の宣言、説得を試みることを含め、
さらにそれが認可されなかった場合の
自身で不都合を解消する手段。


1:飲み会(有料、強制参加等)で
  から揚げにレモンをかけられる。
  (自分のニーズに合うものが無くなる)
  →自分の分を別に注文する。
   →金輪際参加しない。

2:飲み会(無償、自由参加等)で以下同文。

3:一緒に食事に行った矢先で
  自分の注文したから揚げにレモンをかけられる。
  →その相手とはもう行かない
   →その相手と行く時はから揚げ等を注文しない

4:一人で食事してて、から揚げを注文したら
  偶然そこにやってきた知り合いにレモンをかけられる。
  →対象の出現を予期できなかった自分の失敗

これらの一例は まぁ想像で挙げてみたけど。
他にもあるかも。


3の「相手との同行」と「から揚げを諦める」の
優先順位はどちらが上かは場合によりけり。
 例えば月見そばの件での 混ぜてくる女を例に挙げて
 理解してくれず、隙あらば何度も混ぜてくる、として
 仮に条件を挙げるなら。
 ・嫌でも一緒に行かないといけない相手
  (仕事での決まり、相手がお偉いさん、強い等)
 ・その行為は嫌だが 相手のことは嫌いになれない
  (友のじゃれ合いとして容認、相手への依存)
  
あとさすがに4は自分の権利に関して萎縮しすぎ。


不都合になることをやられても
その事実を容認する、ってのは
「観念が備わっている、器量が大きい」か
「負けを認めている、諦めてる」かのどっちかだと思うけど。
 後者であるにも関わらず自分が前者だと思い込もう、
 言い聞かそうとする人も居る。
 いじめられてる人に多い。
 逆に前者の方が 後者として意識してたりする。


ひとまず僕から今の所言えるのはこんな感じで。

しかしまぁ 人は自分に不都合が発生して
初めて物事を真面目に考えるものだと思うけど。

行使する、優位な側には特に不都合は無いから
相手を理解する必要はない、だからしない。
行使される、不利な側にとっては不都合だから
相手に理解を求めるか、優位な側に立つ努力をする必要がある。

この図式がある限り この世から争いは消えないだろうな。



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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
すまない
文章がわかりにくすぎて全部読めなかった
ふむふむ
2016/03/25 11:35
私の場合、日常的に人間関係は6人程度です。その6名と心地よい関係があれば「良い人間関係」の状態であるし、もしも彼らと敵対関係であれば「悪い人間関係」ということです。6人以外のその他大勢の人間関係は、その場が無事に過ぎれば良いだけの関係。その場が平和で穏便であればよい関係です。
相互理解が必要なのは少数の人で、そのような関係を持つ人物は慎重に選択する。
私は八方美人ではなくて、少数の人と長く付き合うタイプ。他人の多くは期待しない。
人間関係のスキルが低い人は多くいるが、基本的に近寄らにようにしている。
議論したりする人は、よほど信頼関係がなければ成立しないと思う。

強制参加の飲み会であれば、参加するにしても楽しいことを期待しない。気の合う人と参加する飲み会であれば期待値も大きいが、たいてい楽しめる。

自分の場合には、相手に要求するのは人間関係のスキルが高い人。お互い譲歩するような尊敬できる要素がなければ付き合わない。
あじさい
2016/03/25 19:01
争いをなくし、論争を沈静化できれば素晴らしい。そのためには、相互理解が必要なのか、不要なのか。物事には、理解できることと理解できないこと、誤解しているところと正しく把握しているところがある。相互理解で誤解は減ると思うが、争いが和解の方向に進むことは理想であるが現実と乖離している気がする。理屈がどうであれ、その言い方とか態度が問題になることのほうが多い。

年配者との付き合いは、同調したり近づかない方が良いことが多い。言葉の本質は、理屈を作って自分をガードするものだと思う。真実というのは、その人にとっても範囲内での事実であって、人によって異なるものだ。どんな言葉も理屈も、有効範囲があり限界がある。(そうでないと主張するのは原理主義者である。)
あじさい
2016/03/28 21:54

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