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zoom RSS 「コーラで飯を食ってちゃいけない」 因果律と自由権を用いての反論

<<   作成日時 : 2017/03/12 04:28   >>

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一線を越える、という言葉があるけど
その一線だと捉える基準は人によって違う。
前にもそういう話 したけど。

ある男の書き込みなんだけど
「嫁に冗談で バカとか 死ねとか 言うと
 涙目になって落ち込むから面倒くさい」
って人が居たんだけど。

どっちが悪いとかじゃなくて、
合わないんだろうな。感性とか人間性が。




以前 僕が作った作品を見てほしい、と
仲間にちょっとしつこく言ってしまって。
そしたら
「こっちの都合も考えて欲しい」と
”自由の権利”を構えられて。

いや、そこまで強要するつもりはないけど・・・と
引き下がったんだけど。
怒らせたり嫌われたりしたくないし。
「ハイハイ」程度に流してくれればよかったんだが。
まぁ年の差とか 現代の思想の特色とか 配慮すべきだったか。



するかしないか、を自分で選択する権利がある、という
”自由権”を構えることが 
最近の人は早すぎやしないか? ってきらいがある。
本当はこれ最終手段でもいいぐらいだと思う。

推察だけど 今の世代の人間は、先人に散々
言うことを聞かされ続けてきたのではないかと。
それで大人になって色々知恵が身に付いた頃に
自由権が浸透してきて。「これで戦える」と思って。


命令や強要、思想の植え付け、自由の侵害
ってものに過敏になってる。


このままじゃ
「この漫画読んでみてよ」って言い方にすら
「そんな風にこちらの自由時間の使い方を
 強制される言われは無い!」
って返すようになるんじゃないか。





まぁ、一応僕も
「強制されてると思って、自由の権利を構えた」
立場の経験はある。

元ネット友達で 断っても執拗に誘ってくるもんで
「強制される言われはない」と言ったら

「俺、強制とか一言でも言ったか?」と。
ケロッとした態度(に見えた)で返してきて
尚更怒りが沸いたことがある。
せめて強制しようとした事実は認めろよ、と。



僕の仲間からは僕はどう見えたのか。
強制したか否か、という 誘う側の感覚より
誘われた側が「どう感じたか」を着目すべきなのか。

少なくとも聞き手が「そう感じた」事実はあった。









批判や論争において、
主観としての主張、要望、感情論、
色んな分け方ができるものだけど。


当然であること、に
(よって落ち度や原因が完全に相手側にある、自己責任
 相手を黙らせるのが目的)
といった意味合いを含めた言い方があって。

「因果律の主張」と ひとまず呼ぶ。





昔 このブログに来た批判で。
多分 何が正しいのか、ってものを探してる時期の
中学生ぐらいの子の書き込みなんだけど。
その子の批判に反論したら

「ネット上に文章を書けば、
 誰の目に触れるかも分かりません。
 批判されても仕方ないのではないでしょうか?」

と返された。



因果律ってのは誰にでも条件が当てはまることで。
これについて言い出したらキリがなくなる。
たまに論争で「反論されるのが嫌なら書くなよ」って言い分を見るけど
その反論した側も
「その『反論』に反論されるのが嫌なら
 書くべきではない」っていう矛盾が発生する。

だから 因果律の主張はあまりしない方がいいのかも。







去年 ポケモンGOが配信されだした頃
著名人2人がこれを悪く言って炎上したり。

ある著名人が
「日本には子供のままの大人が多すぎる。
 いい大人がコーラで飯を食ったり、
 アイドルのCDを握手券目的に何枚も買ってちゃいけないし、
 スマホのゲームに何万も払ってちゃあいけない」
という発言に非難が殺到したり。



僕はこれらの件に関しては
特に頭に来たりはしなかった。

ポケモンGO批判は ただの感想だし。
どういう考えを持ち、発言しようと自由だと思ってるから
”一線”は全然越えてない。


例えば「こんなことやっちゃいけない!」という
勝手な思想を理由にして
人のスマホを壊したり データを消したり。
そういうのは”一線”を越えてる。
人の自由権を物理的に侵害してるし、他人を傷つけてる。

 去年なんか 子供のゲーム機を破壊して
 自慢してる母親が話題になったけど。
 あぁいうのがムカつく。
 まぁあれは ゲームが悪、という思想を
 持ってるわけじゃなくて
 子供へのお仕置きが目的だけど。






「いい年した大人がこんなことしてちゃいけない」発言。
正直「まぁ、そうやなー」って程度には思った。
コーラは「食事」より「おやつ」寄りのイメージがあるし。

それでも僕はコーラで飯食ったりするけどな。
油物とかには合うし。

 その人と食事をするとしても、
 自分はその食い合わせをすることは厭わない。
 悪いことするわけじゃないしな。

 例えばそのコーラ飯が 不快感の主張だったなら
 配慮すべきだと思うけど。
 (コーラで飯を食うやつと食卓を一緒にしたくない
  イコール ニュアンス的に
  タバコ吸う奴と同じ空間に居たくない、みたいな)




自分個人に対して、あまりに目に余るほどに言われるようなら。
例えばある一定の思想を糾弾するような言い方や
少数の条件から過大解釈しての勝手な推察だとか
人格否定だとか。
(例えばコーラで飯を食ってる、ってだけの条件から
 同じ世代の若者全般、世代に対しての批判に持ち込んだり
 親の育て方や子供をどう育てるか、とか
 「お前みたいな奴が○○なんだろうな」とか。)



そうまで言われて 初めて、
こちらも「なんでそこまで言われなきゃいけないんですか?」
って反論できる用意は必要だろうな、と思う。


「何に金を払おうが自由だろ」と言うなら
それらの行為にどう思い、発言するかも自由になる。
また、その発言に批判するのも自由になるけど。



この発言の時点では 特定の誰かに向けて言ったわけでもなく
世間をざっと見つつ何となく思ってることを ぼやいてる程度のこと。

その人がそう考え、発言したからって
突然に自分の権利が取り上げられたりするわけじゃない。


これに対して
「何故しちゃいけないんだ!」って噛みつく人は
自分の思想に自信が足りないんじゃないかと思う。


まぁ、この発言者も それらの反論が
許容できる”一線”を越えるほどの重さがあるかどうか。
それを越えるほど 言われて嫌だったら
「反撃が嫌なら 自分から武器を使うべきではない」
って話にもなる。(これが因果)


でもまぁ、
「誰に言ったわけでもない言葉」による
「条件的に当てはまる人」へのダメージと

「自分個人に向けられた言葉(しかも多数から)」
によるダメージとじゃ全然重さが違うけど。




偏った価値観を持つ1人を叩くのは
「一人の発言、価値観によって 全体の当然という形が
 大きく変わってしまう」ということへの懸念だろうか。
その辺の話はまた今度書くけど。




「因果律の主張」と「自由権の主張」は
論争を早く畳もうとしてる、
悪く言うと、逃げ癖のようなものになってしまってはないか、
って思う所もある。

相手が快く思わなくて、自分が好むものの
何が良いのか、というのを説明する努力の放棄。
「こちらが何を好もうと自由」で黙らせても
相手の”それ”に対しての理解は進まないわけで。






あと、前提認識の問題。


ポケモンGOの是非で
「それの何が面白いの?と水を差すな」
って意見があったけど。


「それの何が面白いの?」という言葉を
「自分が面白いと感じれないものを
 面白がってる人への侮蔑の表明」だと認識し

「どの辺りに面白さを感じるのか、という純粋な疑問」
である可能性を一切消してる。

自由権や 理解できないものへの軽視した態度(をとる人)を
強く意識しているあまりに。






また、コーラ飯発言の人。

もしこの人自身が、コーラで飯を食ってる場面を
目撃した場合
「なんだ、自分だってコーラで飯食ってんじゃん」
と 大概思うだろう、けど。

その感想のニュアンスは様々ある。

「な〜んだ」という軽いものから
「あんな風に言っておきながら!」といった怒りのようなニュアンスなど。


もし後者の感情が出た場合、その人は多分


「何かを悪く言う」行為 =
「自分をまとも(セーフティ)の位置に置き、
 自分が条件に当てはまらないものに関して
 非人格的である、と主張し、攻撃する」行為

と 一概に解釈してしまってる。

 コーラ飯は駄目、って発言自体も
 自戒の意図も含まれてたりするかもしれないし。
 自分も「駄目だな〜 良い大人にならないと」
 と思ってるのかもしれない。




なんでこうなってるかっていう 僕の推察なんだけど。

子供の頃は 親に物事の是非を叩き込まれるが
「こういう理由でこれは駄目」って形。

無知である自分に対し
ルール(共通であるべき正義)を武器に抑圧される。

少し成長して、反発心を持った頃の言い分が
「なんで○○をしちゃいけないんですか?」になる。
散々ルールを武器に弾圧されてきたのだから
今度はどのような武器を出してくるのか。
こちらには反論の用意がある、と。


子供が悪いことをして 注意するときに
「なんでそれをやっていいと思ったのか言ってみなさい
(説明責任は行動した方にある)」
じゃなくて

「○○だから駄目!」と大人側が説明責任を果たしてしまってる。
これじゃ 自立思考が培われない。



現代人が子供時代 思想、嗜好を
充分に認められてこなかった、っていう。
そういった背景事情があるのかもな、と。
反発する癖があるのは。

先代人が独善的な言動が強い傾向にあって
それによる悪い意味での名残。

まぁある意味 この人の
「こうあっちゃいけない」発言がそれを見せてるな。




相手とフェアーな立ち位置で
相手の考えを尊重、許容できる上で
「そうですか 自分はこう思いますけど」って
落ち着いていられる人が大人だと思うけど。

反発してしまう、怒りを覚える、ってことは
結局 観念ってものを相手より下に位置してしまってる、
嗜好の問題とは別の意味で
「子供の心のままの大人」になってしまってるのでは、と思う。





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内 容 ニックネーム/日時
心理カウンセラーとは人間関係のコミュニケーションに優れた人であると考えていた。しかし実際には、「悪い心理カウンセラー」も少なくありません。ミイラ取りがミイラになるとも言えますし、もともと心の問題ある人が心理カウンセラーを目指す場合もある。どんなに知識経験を増やしても改善しいことも多くあります。ほとんどの人間は偏見を持っているし、正当化もするし、自分を客観的に見ることは難しいものです。
人間関係を単純な工夫で画期的に改善できる方法は少ないと思います。理屈に合わないことでもめることが常態であるし、本当のことを言うと話がこじれることもあります。
むちゃくちゃな論理がまかり通って、正論が通らないのは世の常、世の中の汚い部分を見ようとすれば可能であるが、それでも世の中は回っていると考えれば、ある意味でこれでもよいと思える。
あじさい
2017/03/13 20:29

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